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カープ津田恒実を過大評価!は過小評価!!ドラマは録って要永久保存!

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広島東洋カープが
25年ぶりに彼岸のリーグ優勝を果たし、
広島の街はお祭り騒ぎとなっている。

そしてカープ現役選手と共に、
過去に功績をもたらしたOB選手達も
コメントに大忙しだが、やはりここで
挙がってくる選手は津田恒実だ。

若くして逝った炎のストッパーの伝説が
今、再び脚光を浴びている。

津田恒実はドラマや本でその功績を
死後に再度知らしめたが、
過大評価ではないかという意見が
所々、見受けられる。

 

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カープ津田恒実は過大評価?


ドラマや本の題材となっている
カープの津田恒実について、
過大評価なのではないかという意見は
何故、どういった根拠で述べられている
のだろうか?

例えば、イチローや王貞治など、
世界記録保持者と比べているのか?

メジャーリーグでの活躍の有無か?

また、津田恒実の何に対しての評価が
過大評価であると言いたいのか?

津田恒実のカープでの成績に関しては、
もちろん、
事実の記録しかされていない。

どうやら、この過大評価というのは
ドラマや本になる偉人伝的な
扱いの事を言っているようだ。

ドラマや本の題材となっている
若くして死んだ悲劇のヒーロー的な
扱いが過大評価に繋がっていると
お気に召さないのだろう。

昨今のインターネットの世界では、
一個人の稀な感想が、
稀なだけに目立ってしまい、一人歩き
し始めるという現象が起こる事がある。

筆者は野球にはあまり詳しくないが、
カープの津田恒実の名前は知っている。

それは、王、長嶋、イチロー、新庄、
などの超スター選手達のように
ファンに感動を与える事の出来る
ドラマチックな野球人生を生きた
選手だからであろう。

 

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カープ津田恒実のドラマ


カープ津田恒実の物語がドラマになり
今もカープファンの心に生き続けている
理由は、その存在意義にあると言える。

以下、津田恒実の
ドラマチックな野球人生を
簡略に辿ってみたい。

過大評価であるという評価が
過小評価であると解って頂けるだろう。


津田恒実は
カープからドラフト1位指名され、
1982年には新人賞を獲得している。

2年目からはルーズショルダーや、
中指の血行障害により登板回数が減り
世界初の中指の靭帯摘出手術を受け、
1986年には、ストッパーとして
復帰している。

そして同年、
リーグ優勝・V5に大きく貢献し、
カムバック賞を受賞している。

カープのV5以降、津田恒実は、
またしても不調になり、
『サヨナラの津田』
と揶揄された時期もあった。

しかし、カープV5から3年後、
1989年には防御率1.63。

12勝5敗28セーブという活躍で
最優秀救援投手、ファイアマン賞を
受賞し、その存在意義を
再度、主張した。


津田恒実の最も重要な存在意義は、
チームやファンからの心の拠り所と
なっていた事だろう。

今や、名言となっている
『弱気は最大の敵』の言葉の通り、
剛速球での強気な直球勝負は、
カープファンでなくとも、
興奮したものであった。

津田恒実は、153km/hの剛速球と、
鋭利なカーブを武器とし、
剥き出しの闘志で、強豪相手に挑む
その姿は『炎のストッパー』と称され
野球史にその名を刻んだのだ。


津田恒実は1991年4月14日、
右肩、右膝の痛みや、頭痛などの
体の不調を抱えたまま、
カープ・巨人戦のマウンドに立った。

北別府の後を引き継いだ津田恒実は
無死2塁3塁を招き、原辰徳から
同点タイムリーを浴び、僅か9球で
降板となり負け投手となったが、
津田恒実がマウンドに立つのは
これが最後となった。

長引く頭痛に不安を覚えた津田恒実は
この試合の翌日には検査入院した。


精密検査の結果、摘出不可能な位置に
悪性腫瘍があることが判り、
引退を決意する事となった。

カープ球団は、周囲の混乱に配慮して
『水頭症』のため引退すると発表し、
準支配下登録選手とした。

その後は闘病に専念する人生となり、
カープ球団に退団届けを提出し
正式に引退となった。

津田恒実は、
奇跡的に病状が好転した時もあり、
現役復帰の為のリハビリもしたが
すぐに病状は悪化した。

そして、1993年7月20日14時45分
済生会福岡総合病院にて逝去した。

津田恒実、32歳であった。


広島東洋カープの旧拠点であった
広島市民球場には、津田恒実の功績と
人柄を讃えた『津田プレート』
と呼ばれる、メモリアル・プレートが
設置され、カープ選手は皆、
試合に挑む前に必ず、このプレートに
触れて行ったそうだ。

カープのメモリアル・プレートは
史上2人目であり、もう一人は
連続試合出場記録を樹立した衣笠祥雄
である事からも、その偉大さを推し量る
事が出来るだろう。

津田プレートには
『直球勝負
笑顔と闘志を忘れないために』
と書かれている。

2012年、津田恒実は野球殿堂入りした。

カープの炎のストッパー・津田恒実は
栄光と挫折を何度も繰り返し、
伝説となったのだ。

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