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佐々木朗希は母子家庭!大船渡も震災に遭い父親を亡くし母親とドラフト勝ち取る!?

皆さんは佐々木朗希さんをご存知でしょうか?

 

「誰にも相談せず、自分の意思で決めました。

真っ直ぐが一番の武器ですが、ピッチング、フィールディング……野球におけるすべてのプレーを高めて次のステージに行きたいと思います」

 

岩手県大船渡高校の高校球児ですが、10月2日、この言葉と共にプロ志望届の提出を報告し、「12球団OK」の姿勢を表明しました。

『令和の怪物』との呼び声も高い佐々木朗希さん。

野球界の注目が一斉に集まっています。

 

今回は、そんな佐々木朗希さんの生い立ちについて詳しくみていく事にしましょう。


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佐々木朗希は母子家庭!

 

佐々木朗希さんが9歳の時、あの東日本大震災が発生しました。

当時、佐々木朗希さん家族が暮らしていたのが、壊滅的な被害のあった陸前高田市でした。

そこで父親を亡くし、母子家庭で育つ事に。

 

幼くして悲しい別れをした佐々木朗希さんですが、中学、高校と目覚ましい活躍を見せるのです。

ここでは、頭角を見せ始めた中学時代から振り返ってみる事にします。

 

佐々木朗希とは?

 

岩手県で生まれた佐々木朗希さんは、3人兄弟の真ん中。

3歳年上の兄・琉希さんの影響で、地元の高田小学校3年生の時に野球を始めました。

琉希さんも大船渡高高校野球部OBで、4番を任されていた実力の持ち主だといいます。

 

実力が見え始めたのは中学生の時。

佐々木朗希さんの所属していたオール気仙(KWBボールの選抜チーム)で東北大会準優勝を果たします。

その後大船渡高校に進学し、投手として1年生の夏からベンチ入り、2年生の秋からエースで県大会ベスト4と、正に順当に活躍をされてきたようです。

また、年代別日本代表にも選ばれています。

高校2年生ながら、侍ジャパンU-18高校日本代表の第一候補30人に選出されたのです。同年代には、夏の甲子園で準優勝した奥川恭伸さんもおり、ライバルとして切磋琢磨しているようです。

注目されている要素の一つが、身長189cm・体重81kgという恵まれた体格から放たれる投球スピード。

高校1年生の夏の県大会で147キロをマークして一躍注目の的に。

翌年2年生の夏には154キロ、秋には157キロと、ぐんぐんと記録を伸ばしていったようです。

U-18日本代表合宿では、遂に163キロを計測し、『令和の怪物』『大谷2世』とも呼ばれるようになりました。

若さとは言え、恐るべし成長ですよね。

 

佐々木朗希は母子家庭!

 

震災を機に母子家庭となった佐々木朗希さんですが、父親代わりになってくれたのは、野球を始めるきっかけにもなった、兄の琉希さんだったそうです。

野球だけでなく、生活面でも佐々木朗希さんに厳しく接している姿は、母親が見ていて可哀想なくらいだったようです。

高校への進学の時期には、全国各地の有名高校から誘いを受けていましたが、それらを全て断り、地元の大船渡高校を選びました。

その理由は、

「中学時代から一緒に野球をしてきた仲間と高校でも野球がしたい」

というものでした。

また、遠くの高校に行って母親に苦労を掛けたくないという気遣いもあったのかもしれませんね。


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震災に遭い父親を亡くし母親とドラフト勝ち取る!?

 

佐々木朗希さんの父親である功太さんは、東日本大震災の時帰らぬ人となりました。

家族も被災し、当時は相当な苦労があったようです。

 

しかしながら、そんな悲しみを乗り越えた今では、国内外のプロ球団が注目する高校生となりました。

 

正式にプロ志願を表明し、各球団注目のドラフト候補である一方で、その育成方法に戸惑う声も上がっています。

その背景にも迫ってみたいと思います。

 

震災に遭い父親を亡くしていた。

 

野球を始め間もない当時9歳の時、東日本大震災で被災をした佐々木朗希さん。

母の陽子さんはその日、仕事で隣町の大船渡にいましたが、浸水で立ち往生し、翌日になってやっと再会できたといいます。

会えなかったその日の夜は、高台の施設に兄弟3人で避難をしていたという事で、不安だった胸中が痛い程に感じられます。

 

しかし、翌日になっても父親の功太さんとは連絡が取れなかったのです。

電話が鳴ったのは地震発生から5日目の事でした。

 

「見つかりました。」

 

これは、功太さんも帰らぬ人となった事を意味するものでした。

 

陽子さんは当時の3兄弟の様子をはっきり覚えているといいます。

津波によって、当時暮らしていた自宅は流されてしまいましたが、仮設住宅の抽選にもなかなか当たらず大変苦労されたにも拘らず、

 

「(長男の)琉希が父親代わりに弟2人の面倒を見てくれて、子どもたちはいつの間にかどんどん成長してくれました」

 

と穏やかに振り返っています。

37歳という若さで、津波の被害に遭って亡くなった功太さんの職業は、葬儀屋さんだったとの事。

ジェットスキーやスノーボードなどの、ウインタースポーツが好きだというアクティブさで、佐々木朗希さんも功太さんの影響で様々なスポーツを経験されていることと思います。

また、大変明るい性格で自分の事より周囲の人へ気配りを絶やさない優しい人だったといいます。

震災から8年が過ぎる今でも、佐々木朗希さんは、毎朝遺影に向かって「行ってきます」と声を掛けるそうです。

会う事はできなくなってしまったけれど、いつも心の支えになっていてくれているのでしょうね。

 

母親とドラフト勝ち取る!?

 

懸命に働きながら、女手一つで3兄弟を育て上げた母親の陽子さん。

子ども達が野球を頑張る姿に励まされたといいます。

しかし、仲間は父親がビデオを回してくれるのに、うちはそれができないという寂しさも感じていたそうです。

この目に直接焼き付けたいとの思いがあったとの事ですが、次第に周りの仲間が映像を撮ってくれるようになったといいます。

 

そんな時期を経て、今や国内外の球団から注目を集める選手へと成長を遂げました。

最近では10月2日にプロ志願を表明した事が話題を呼んでいます。

 

しかしながら、ドラフト1位指名からの撤退を検討している球団が続出していることが11日、明らかになっています。

 

その理由は、

 

「手に負えないほどのスケール」

 

だからとも言われています。

佐々木朗希さんは、右手中指にできたマメの影響があり、先日まで韓国で開催されていたU-18W杯で1試合、1イニングしか登板できず、チームも5位で帰国しました。

最終チェックを満足のいく形でできなかった事もあり、その潜在能力の大きさを把握しきれず、入団後の育成法を考えて指名を躊躇している球団が出始めているのが現状たというのです。

 

さすが、『令和の怪物』と言われるだけありますよね。

 

しかし、日ハムだけが「何が何でも1位」と公式に表明しているとの事。

日ハムの吉村GMが、6月の段階で既に

「間違いなく1位で指名する」

と公表していますが、他の複数の球団からは、1位指名撤退の動きが伺えるといいます。

 

その背景は、

「過去に160キロを超えるボールを投げる能力の投手を育てたことのあるチームは、大谷翔平がいた日ハムしかない。

160キロを超えると、人間の肩や肘にどれだけの影響を与えるのか。

そのためのケアや故障防止はどうすればいいのか。

ノウハウを持っている球団はない。」

というもの。

 

日本の球団の育成レベルが、佐々木朗希さんに追いついていないというのが実情のようですね。

どんな形であれ、佐々木朗希さんとそのご家族が納得できる結果になってほしいですよね!

 


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まとめ

 

佐々木朗希さんは、小学生の時に東日本大震災で被災。

幼くして父親を亡くし母子家庭で育ってきました。

自宅も津波で流されてしまい、相当苦労された事と思います。

 

しかしながら、父親代わりになってくれていた兄や、母親からの愛情を一身に受けて、今ではプロ球団に手に負えないと思わせるほどの選手に成長しています。

 

『令和の怪物』との異名も持つ佐々木朗希さん。

今後の進路に注目するのはもちろん、益々の活躍を楽しみにしていきましょう。

 

 

参考サイト

週刊ベースボール

Sportiva

NEWSポストセブン


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