光クラブ事件の東大生 山崎は木更津の名家出身!その経緯とは!?

みなさんは、光クラブ事件を
ご存知でしょうか?

東大生の山崎晃嗣らが
「光クラブ」という闇金融を
設立した事が問題となった事件です。

中心人物となった山崎晃嗣は、
木更津市の名家出身という
ことでも話題となりました。

今回は、そんな木更津市出身の
お坊ちゃま東大生、山崎晃嗣が
引き起こした光クラブ事件の経緯に
ついてご紹介したいと思います。

 

 

主犯は東大生!光クラブ事件の概要

 


木更津市の名家出身、
東大生の山崎晃嗣が引き起こした
光クラブ事件とは
いったいどのようなものだったの
でしょうか。

光クラブ事件は1949年に起こった
事件です。

東大生である山崎晃嗣を中心として
設立した闇金「光クラブ」が
警察に摘発されました。

光クラブ事件は、
アプレゲール犯罪の事例として
挙げられることも多いです。

アプレゲール犯罪という言葉は、
聞き馴染みが薄いですよね。

アプレゲールはフランス語のようで、
「アプレ」は「…の後」、
「ゲール」は戦争を意味します。

日本でアプレゲール犯罪という言葉が
使われるようになったのは、
第二次世界大戦終了後です。

この時期は、既にある権威や道徳と
いう観念が薄くなっており、
犯罪に走る若者が多かったのです。

東大生の山崎晃嗣の光クラブ事件も
1949年なので、
時期的にもアプレゲール犯罪が頻繁に
起こっていた時です。

さて、木更津の名家出身で東大生の
山崎晃嗣は1948年9月に、
友人である三木仙也と闇金融会社、
「光クラブ」を設立します。

三木仙也は、日本医科大学の学生
でした。

社長の山崎晃嗣、専務の三木仙也、
常務は東大生と
役員が東大などのエリート大学の
学生であったことがこの事件の特徴
でもあります。

光クラブを設立当初の資金は、
1万5000円と非常に少ない額から
事業を始めました。

光クラブとしてお金の貸し借りを行う
ためには、多額の資金が必要でした。

そのため、山崎晃嗣らは
派手な広告や13%という高い配当を
設定することで民間人から融資を
受けようと考えました。

「光クラブ」という特徴的な名前や
東大生が運営していることが注目され、
多額の資金を集めることに成功します。

開業からわずか4ヶ月で、
銀座に進出し
資本金600万円、社員30名の企業へと
成長します。

しかし、1949年7月4日に物価統制令に
違反しているとして、
東大生で社長の山崎晃嗣が
逮捕されます。

事件を受け、不安を募らせた出資者
がお金を返すように迫ったことを
きっかけに
光クラブの業績は悪化します。

3000万にも上る借金を返済しきれなく
なった山崎晃嗣は、
1949年11月24日の夜に青酸カリを飲み
自ら命を断ってしました。

戦後の動乱期に東大生、
それも木更津市の名家の生まれの
山崎晃嗣が引き起こした光クラブ事件は
このようにして幕を閉じます。

1945年8月の終戦から3年後の
1948年9月に設立された光クラブは、
1949年11月に幕引きされており、
活動期間は約1年今日という
短いものでした。

法律や計算に長けていても、
若すぎるが故に、社会の仕組みが
解っていなかったのでしょうね。

では、この光クラブ事件の主犯者である
山崎晃嗣とはどのような人物だったの
でしょうか。

 

 

東大生の山崎晃嗣は木更津の名家出身

 


光クラブ事件の黒幕であった山崎晃嗣は
東大生で木更津市の名家出身と
何度か書きました。

今度は、東大生の山崎晃嗣の
プロフィールについて更に詳しく見て
みましょう。

山崎晃嗣は千葉県の木更津市の
医師で市長の山崎直の5男として
生まれます。

母親は音楽家で、他の3人の兄弟は医師
になっているようです。

まさに、木更津市の名家出身と言える
生い立ちですね。

1日に15時間以上の猛勉強をして、
東大の法学部に入ります。

光クラブ事件からは、頭がキレて
狡猾な東大生というイメージが
ありますが、
こういった努力をされて東大に入って
いるのですね。

東大では、20科目全てで「優」を取る
という目標を立てました。

山崎晃嗣は、勉強や睡眠といった
自分の行動のスケジュールを
分刻みでつけることになります。

結局、17科目が「優」で
3科目は「良」でした。

最優秀成績者ではあったものの、
目標である全科目「優」を
達成できなかった山崎晃嗣は、
教授の気まぐれで決まる成績評価に
一生懸命になるのが非常に馬鹿らしく
なったと発言しています。

光クラブ事件における
山崎晃嗣の東大生エピソードを
ご紹介します。

1949年7月4日に物価統制令違反として
逮捕された山崎晃嗣ですが、
これは後で不起訴扱いとなっています。

逮捕された山崎晃嗣は、
取調官に対して法律論争を仕掛け、
処分を免れます。

山崎晃嗣は東大生の法学部ということも
あり、法律の知識が豊富でした。

東大生、山崎晃嗣の狡猾さを
うかがい知ることのできるエピソード
ですね。

さて、今回は光クラブ事件の概要を
中心に、
その主犯であった木更津市の名家出身で
東大生の山崎晃嗣について
ご紹介しました。

東大生の優秀な頭脳が犯罪に使われて
しまった、不運な事件ですね。

mick

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