大竹しのぶ(おおたけしのぶ)さんは、
バラエティ番組では天然っぽくて
独自の話し方が印象的です。
しかし、女優になるとどんな役でも
バッチリとこなしていて
大女優だと感じます。
特に舞台での真剣な演技には
引き込まれて圧倒します。
大竹しのぶさんの父母と祖父祖母について
見ていきましょう。
実家は、クリスチャン家系で、
母の名前は、少し変わっていて
「ゑすてる」という名前のようです。
大竹しのぶさんについて
一つずつ見ていきましょう。
最後までお付き合い下さいね!
(以下、敬称略)
大竹しのぶの父母と祖父祖母!実家は
クリスチャン家系で母の名前はゑすてる!?
大竹しのぶの父母と祖父祖母について
見ていきましょう。
大竹しのぶの父は、大竹章雄という
名前で出身は宮城県塩竈市で
高等学校の教員でした。
母は、ゑすてる(江すてる)という
名前で宮城県仙台市の出身です。
大竹しのぶの母方の祖父は、
吉川一水という名前で自由宗教家で
クリスチャンだったようです。
祖父は、明治時代に活躍をした思想家の
内村鑑三や幸徳秋水と親しい付き合いが
あったそうです。
内村鑑三は、キリスト教の思想家で
文学者でもあり、伝道者でもあって
無教会主義を唱えていました。
幸徳秋水は、明治時代の
ジャーナリストで思想家です。
1911年大逆事件(幸徳事件)の判決により
亡くなっています。
幸徳事件とは、明治天皇を
闇討ちしようとしたと計画を明治政府が
でっちあげして、12人が判決により
命を失った事件です。
犠牲者は、無実なのに酷い話です。
内村鑑三と幸徳秋水は、歴史上に
名前が挙がる有名人です。
そんな有名人と大竹しのぶの祖父は、
親しい付き合いがあったということは、
キリスト教の深い信者だったと
思われます。
祖母は、吉川八重という名前で
クリスチャンだったようです。
祖母の八重は、幸徳秋水と
サンフランシスコに行ったことも
あるようです。
大竹しのぶの祖父母は、歴史上有名な
人物と関わりがあったようで
スゴイです。
更に、大竹しのぶのルーツとされるのが
現新潟県長岡市に今も伝わる、
大竹与茂七なのだそうです。
大竹与茂七は地元の名主であり、
大竹さまと慕われていたようです。
宝永元年(1704年)大洪水があり、
堤防が決壊するのを防ぐために、
急遽、自分の山の木を切り出し、
不足分を藩所有の林から無断で伐採し、
罪に咎められたそうです。
話は二転三転した後に、
村人と村を救うべく尽力した
大竹与茂七は藩から残酷な仕打ちを受け
その後に処刑され晒されたと言います。
大竹与茂七の祟りとされる事件も沢山
あり、大きな火事もありました。
与茂七火事と呼ばれ、今でも、
火事が起こると話に出て来るそうです。
<参考Wikipedia>
実家はクリスチャン家系で母の名前はゑすてる!?
大竹しのぶの実家は、
クリスチャン家系で祖母の名前は
ゑすてる!?
祖父母の吉川一水と八重が
ゑすてるという名前としのぶという
名前を聖書から取って名付けたそうです。
大竹しのぶは、4人兄弟の三女ですが
他の兄弟の名前も聖書から
名付けられているのでしょうか?
大竹しのぶには、「マリア」という
洗礼名があるそうで、家系は
クリスチャンのようです。
大竹しのぶは、数年前にイタリアの
アッシジに訪れました。
「この街の人は神様を信じている」と
感じたそうです。
アッシジは、キリスト教の洗礼地と
言われて聖フランチェスコの地です。
聖フランチェスコで、自由宗教家が
いたというエッセーを読んで7、8人の
名前の中に祖父の吉川一水の名前が
あって、とても嬉しかったと
話していました。
大竹しのぶの父・大竹章雄は、
吉川一水の聖書の講座を聞きに
行っていて、娘のゑすてると知り合い
結婚しました。
大竹しのぶは、情熱的な女性と
言われている祖母・吉川八重と
会ったことがないそうで
気にかかっていたようです。
事情があって吉川八重が、子供を
手放していたことや、新潟県で
大竹家のルーツが判明して
行方がわからなかった親戚も
見つかっています。
それから、大竹しのぶは
100年前に祖父・吉川一水が書いた
本を発見していて大事そうに
抱きしめている写真が新聞に
掲載されています。
大竹しのぶの家系は、祖父母の代から
クリスチャン家系のようです。
まとめ
大竹しのぶの穏やかな口調の天然さは
クリスチャン家系から
来ているのかな?とふと思いました。
祖父母が、歴史上の有名な人物と
関わりがあって大竹家のルーツは
スゴイ歴史がありました。
クリスチャン家系の大竹しのぶですが
普段は表に出していないので
わかりませんね。
母の名前の、ゑすてるはとても
珍しく可愛い名前です。
外人さん?とも噂がありましたが
日本人です。
今後も、天然の大竹しのぶと
女優の大竹しのぶを見るのを
楽しみにしています。