天皇譲位するも平成上皇の称号は不使用!?わかりやすく説明します

こんにちは。

200年ぶりの生前退位ということで
昨年8月以降ずっと議論され続けて
います。

平成31年元旦には平成の次となる
元号が発表されるそうですが、
譲位した後、平成天皇・上皇といった
呼び方をするのかどうか注目がされて
います。

少しずつ検討事項が明らかになりつつ
ありますが、検討事項が決定事項かの
ように騒がれ混乱を招いています。

 

 

平成31年元旦、天皇譲位後の扱いは上皇?

 


今上天皇明仁様(現在の天皇陛下)の
生前退位を巡って平成28年の8月頃
から天皇の在り方等について政治、
報道メディアを通して大きく
取り上げられています。

日本時間で平成29年1月12日、
政府首脳は、報道メディアの早とちりな
情報公開に追って明確な否定をして
います。

たとえば新元号は官房長官によって発表
されますが開始時期が元旦だという
ことについて菅官房長官は
「全く承知していない」、
「方向性も示されていない段階」と
明確に否定しています。

本来、天皇陛下が生前退位(譲位)した
後の称号は太上天皇(略して上皇)と
なります。

しかし天皇より上皇の方が上位にあり
譲位後も政治関与した歴史的過去が
あった経緯から、皇位の安定性に懸念が
あると疑問の声が挙がったようです。

そこで、報道メディアは
「天皇退位後「上皇使わず」」、
「前天皇など検討」といった報道を
しました。

それもまた誤解で、政府首脳は
「元天皇、前天皇は検討していない、
上皇に関しては過去の上皇とは異なる
意味合いで称号とする可能性はある」
と明確に否定しました。

発言の要約次第では本来の意味と全く
違った形で情報が流れます。

関心を煽るための報道業界による意図的
な誤報なのか単なる間違いなのかは
分かりませんが、正式にはまだ決まって
いないようです。

 

 

上皇が政治的に影響力を持った時代とは?

 


日本には海外では見られない院政
という言葉があります。

皇位を譲位して上皇として君臨した後、
後継君主の上に立って実質的な政務を
行う政治体制のことで、歴史的には
白河上皇の1086年から平家滅亡の
1185年頃までのことを院政時代と
呼ぶことがあります。

身近な院政(隠居)は特に古い大企業
などの会社組織でも見られます。

権力者が退任した後も相談役という
ポストに立ち、権力や発言力の大きさ
から、時には鶴の一声で色々なことが
白紙に戻るようなこともあります。

そういえば筆者も学生時代、大学院を
修了する時に、お世話になった
大学教授も一緒に定年退職しました。

教授は引退後も「名誉教授」や
「特別講師」といった肩書きで大学に
残る選択肢もありましたが、
その選択肢については否定していました。

新しい時代は新しい人達が作っていく
もので年寄りがいつまでも残っている
のは学生や新任の教育者の将来を
見据えた時に教育上良くない
とか言っていましたが、
今思うと生前退位問題とリンクしている
ように感じます。

実質、天皇に関しては政治行為ではなく
国事行為を行う立場なので、上皇という
名称が現代でそこまで影響力があるか
どうかについては分かりませんが、
下手に特別な事例を作ってしまうと
法律そのものの権力や安定性を揺るがす
可能性があると思います。

ちなみに国事行為のみを行うことに
なっていますが、「内閣の助言と承認」が
必要で、その責任は内閣に委ねられます。

また、国事行為とは日本国憲法によれば、
内閣総理大臣の任命、最高裁判所長官の
任命、憲法改正、法律、政令、
条約の公布、国会の召集などなど、
宮内庁に公開されている儀式的行為の
他にも政治的に関わっているように
思えます。

難しいことはよく分かりませんが、
いずれの行為についても
「内閣の助言と承認」が必要で
責任が内閣に与えられる以上、
失敗が許されない日本の風土や
政治の根底にある保守的支持層との
利害関係によって生前退位問題は
とても慎重に扱われるでしょう。

慎重だからこそ、多くは語られない
のだと思いますが、慎重な言葉選びで
出てきた発言を下手に要約・解釈すると
その意味が全く異なってしまう場合も
あり、今回はその典型だと思います。

まとめ


いかがでしょうか。

象徴とはいえ日常生活でそこまで意識を
していなかった天皇という存在でしたが、
むしろ象徴という立場を自覚しつつ、
院政や摂政はよくないと考える
今上天皇明仁様の意志について
今は重く感じます。

SAT

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