逸見政孝のステージ4のがんは前田外科病院の誤診が原因!?

がんでこの世を去ったアナウンサー
と言えば小林麻央さんが記憶に新しいが、
今から25年前、48歳の若さでこの世を
去ったアナウンサーの逸見政孝さんも
当時はかなり騒がれた。

逸見政孝さんががんを告白した時には、
既にかなりステージが進んでいた。

しかし、逸見政孝さんが受診していた
前田外科病院の誤診がこのような事態
を招いたのでは?とも噂されている。

今回はその噂の真相について調べてみた。

(以下、敬称略)

 

 

 逸見政孝のアナウンサー人生と命を奪ったステージ4のがん

 


48歳という若さでこの世を去った
フリーアナウンサーの逸見政孝。

逸見政孝は、亡くなる3ヶ月前に記者会見
を開き、かなりステージが進んだ「がん」
であることをマスコミに発表した。

当時はがん告白の記者会見自体が異例
だった為、世間から大きな反響があった。

しかし、逸見政孝が今でも話題に取り上げ
られるのは、人気絶頂の時にがんを発症
して命を落としたからだけではない。

その後、逸見政孝が初めにかかって
いた前田外科病院でのステージ誤診疑惑
が広まったのだ。

前田外科病院では本当に誤診があった
のだろうか?

また、なぜそのような噂が出てしまった
のか?調査した。

 逸見政孝のプロフィール


逸見政孝は25年前まで活躍していた
アナウンサーだ。

よく知らないという方の為に、
まずはプロフィールと経歴を見ていこう。

逸見政孝は1945年
大阪府大阪市に生まれた。

早稲田大学ではアナウンスの勉強をし、
卒業後、晴れてフジテレビに入社。

当初は真面目で地味なイメージで
期待されていなかったらしいが、
スポーツ報道バラエティーとあらゆる
分野で活躍。

確かな実力と意外な笑いのセンスで
幅広い年代から支持された。

バラエティー番組に出演した際の映像
を見ると、報道の時とは打って変わって
満面の笑みが可愛らしい印象で
人気があったのも頷ける。

今でもネット上では逸見政孝に
ついて言及する人は多く、

「もしあの時にSNSがあったら悲しみの
ツイートで溢れかえっていただろうな…」
「大好きだった。もう一度見たい」
「中々あんなスゴイ人は現れない」

と呟かれるなど、いかに愛されていた
かがわかる。

また、タモリ、ビートたけし、
明石家さんまという大御所相手でも
完璧に司会をこなし、現役で活躍中の
安藤優子アナウンサーにも尊敬される
など業界内でもレジェンド的存在だった。

逸見政孝の仕事ぶりについてはどこを
見ても絶賛している事がほとんどであり、
あらゆる方面から評価されていた事が
わかる。

プライベートでは妻と二人の子供がいた
が、基本的に亭主関白で仕事人間だった
そうだ。

家事も全くやらなかったそうだが、
これだけ仕事で活躍して忙しくしていれば
それも仕方がないと思える。

 逸見政孝のがんが発症してから命が尽きるまで


ここでは、逸見政孝ががんを発症してから
この世を去るまでの経緯について説明する。

逸見政孝が最初に異変を感じたのは
1993年1月だった。

みぞおちに痛みを感じたことがきっかけで
前田外科病院を受診。

その結果、初期ステージの胃がん
であることを伝えられたそうだ。

そして1週間後には胃の一部を取り除く
簡単な手術を受けた。

術後は順調で、1ヶ月後には
仕事に復帰した逸見政孝。

初期のがんだったとは言え、通常では
考えられないスピードの回復力である。

当時は周囲に「穿孔性十二指腸潰瘍」と
病名を偽って報告していた。

しかし、1993年5月頃に手術跡が
膨れ始めて突起状になり、それを取る
ためと言われ、2度目の手術を受けた。

事態が大きく動いたのはそれから
数ヵ月後の1993年9月。

予定されていた米国での治療が直前
キャンセルされたこと等から不信感が
募った逸見政孝は、東京女子医科大学病院
でも診察を受けることを決意する。

そこで初めて、かなり進行したがんで
余命が厳しいという事実を伝えられた。

世間を驚かせた記者会見が行われた
のはその3日後のことだった。

マスコミにがんを発表した翌日には
すぐに東京女子医科大学に入院し、
13時間にも及ぶ手術を受けた
逸見政孝だったが、それからわずか
3ヶ月後の12月25日にこの世を去った。

この経緯だけを見ると、東京女子医科
大学病院に受診した時には既にステージが
進行しており、前田外科病院がそれを
見抜けなかったように見える。

これが前田外科病院の誤診疑惑に
繋がっているのである。

問題の前田外科病院の誤診疑惑と真相
については、次の章で詳しく解説しよう。

 

 

 逸見政孝は前田外科病院の誤診でこの世を去った?!

 


ここまでは、逸見政孝のプロフィールや
がん発症からこの世を去るまでの経緯を
説明した。

ここから先は、前田外科病院の誤診疑惑
の噂について調査しよう。

誤診だったと言われた理由は何なのか?

実際に前田外科病院は逸見政孝に対して
どのように接していたのだろうか?

 前田外科病院に誤診の噂がある理由とその真相


前田外科病院に誤診の噂がたった理由に
ついては前述した通りで、既に手遅れな
状態になっている事を前田外科病院が
見抜けなかったと思われたからである。

確かに、前田外科病院にかかっていた
当初、逸見政孝が「手遅れな状態だ」
と知らされなかったのは事実である。

しかし、ステージが進んでいると
見抜いていなかったのか?
というとそうではないようだ。

実は、初診の時点で逸見政孝の妻にだけは

「本当は初期のがんではない」
「ぎりぎりまでがん細胞を取り除いたが、
5年後の生存率は0に近い」

と知らされていたそうなのだ。

実際に、逸見政孝が息を引き取った後、

「最初の手術の時点で、既に腹膜にも
がんが転移していた」

と発表している。

このことから誤診であったという噂は
事実ではないことがわかる。

しかし、疑問が残るのはそのような状況
でも告知しなかった病院の対応である。

誤診でなかったならば、なぜ本人に
病状を伝えなかったのだろう。

現在であれば問題になりそうだが…。

一つ参考になる情報として、逸見政孝の
弟のエピソードがある。

逸見政孝の弟もまた、31歳の若さで
スキルス胃がんによりこの世を去った。

その時逸見政孝は、幸せの中にいる弟に
末期のがんだとはとても言えないという
理由で、病状を知らせなかったのだ。

その話は自身の著書にも明記されており、
その思いを知った周りの人間の最大限の
配慮だったのだろうか…とも考えられる。

真実を知る妻も本人に知らせていなかった
事を考えると、その可能性は有るのでは
ないだろうか。

本人がいない今となっては、告知の
タイミングが正しいか間違っていたか
はわからない。

しかし、このニュースで病院の病状説明に
ついてや手術の必要性などが議論され、

複数の病院を受診する
「セカンドオピニオン」や

医師から患者へ詳細を説明してから
治療に同意させる
「インフォームドコンセント」

という言葉が広まり、患者側に
選択肢が増えたことは間違いない。

影響力のある人物の他界のニュースは
時代をも変えるのかもしれない。

 

 

 まとめ

 


今回は、アナウンサーとして活躍していた
逸見政孝さんのがんの真相について調べた。

病状告知や余命宣告については現在でも
様々考え方があり、非常に繊細な問題だ。

今回の件も賛否両論あるかもしれないが、
人気アナウンサーとしてこれからも活躍
すると見られていた方なだけに、家族や
担当医の葛藤は相当なものだったのでは…
と推察できる。

しかし、最終的に病状を知っても最後まで
前向きにがんと闘った逸見政孝さん。

その強さには誰もが感動し、
勇気を貰えただろう。

miya

<参考サイト>
Wikipedia
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