星野仙一が病気の膵臓がんで激やせし他界!殿堂入りパーティーでは元気な姿も

燃える男!闘将!として知られる
星野仙一がなくなっていた。

膵臓がんとの戦いで激やせした姿と
一部では騒がれていたが、
昨年の殿堂入りパーティーでは
元気そうな姿も見られて
とても重い病気とは思えなかった。

なくなられた原因は、今のところ
確定は出来ないものの、以前より
騒がれていた膵臓がんかと思われる。
(敬称略)

 

星野仙一が病気の膵臓がんで激やせし?なくなる!

 


燃える男!として、日本プロ野球界で
選手としても監督としても大活躍し、
我々に夢や希望を与えてくれた、
星野仙一が病気である、
膵臓がんで激やせしている、
と、以前から話題になっていた。

確かに、
画像を見る限りでは痩せてはいるが、
70歳という年齢を考慮すれば、
不自然なものではない程度で
星野仙一が病気だ膵臓がんで激やせだ
と、騒ぐ程のものではない。

なくなられたのは1月4日で
2日間おいた発表であった。

星野仙一が膵臓がんで激やせという
情報に信憑性が足りない状況では、
なくなられた原因が病気、
膵臓がんであると今の段階で断じる事は
出来ないが、
あまりにも突然の事であるため、
激やせはさておき、
やはり膵臓がんが原因かと
疑わずにいられない。

星野仙一はプロ野球人生最後には
2011年より楽天イーグルスの監督を
努めていたが、2014年5月に、
「腰椎椎間板ヘルニア」と
「胸椎黄色靭帯骨化症」を患い休養。

7月に復帰するも、2ヶ月後の9月には
楽天イーグルスの成績低迷と、
病気を理由に監督を退いた。

その後の星野仙一は楽天イーグルスの
シニアアドバイザーを経て、
楽天野球団の副会長となっている。

殿堂入りパーティーを終え、
この年末には、ハワイに行って家族で
年越しをする予定でだったが、急遽、
取りやめており、膵臓がんであれば
突然の病気の症状悪化があったと
考えられる。

原因が何にせよ、あの漲る闘志で
日本プロ野球界を沸かせた男の
突然の悲しい知らせは、
日本中に衝撃を与えている。

 

星野仙一殿堂入りパーティーでは元気な姿も

 


星野仙一の突然の悲しい知らせに、
日本プロ野球界のみならず、日本中に
衝撃が走った。

昨年(2017年)には星野仙一が
1月26日に日本プロ野球の殿堂入りが
決定し、「野球殿堂入りを祝う会」
というパーティーが、
11月28日に東京で、また、
12月1日に大阪で、開催された。

星野仙一の殿堂入りパーティーには
東京だけでも1100人もの出席者がおり
その存在の偉大さが分かる。

星野仙一殿堂入りパーティーでは、
野球競技人口の減少を憂い、
プロもアマも一体となって、
野球の普及活動の取り組む総決起に関し
熱く語っており、激やせする程の
膵臓がんを患う者のテンションでは
全くない。

「全国の子供が野球をできる環境をつくらないといけないという夢を持っています。(活気のあった巨人の)V9時代の球界に戻さないといけない。プロもアマもない。野球界(全体)と考えれば底辺も拡大する」

「これだけの人が来てくれた。野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」
引用:毎日新聞

 

倉敷商業高校でエースを担い、
明治大学を経て、1969年、
中日ドラゴンズに入団した星野仙一は、
『アンチ巨人』『巨人キラー』と呼ばれ
王や長島にも闘志を剥き出しに活躍し、
日本プロ野球を熱く沸かせた、現在の
日本のプロ野球の立役者の一人である。

監督としては、
1987年に中日ドラゴンズ監督就任、
2002年に阪神タイガース監督就任、
2008年に北京五輪監督就任、
2011年に楽天イーグルス監督就任

「名誉ある賞をいただき、野球をやってきてよかった。これからは打倒巨人とか、楽天のことだけ考えていてもダメ。プロ、アマ問わずに野球界全体を発展させていきたい」
引用:朝日新聞

野球に恋をし、野球に闘志を燃やし、
野球に感謝し、野球に恩返しをする。

星野仙一の人生は
正に野球一筋なものであったと、
この殿堂入りパーティーでの発言から
痛烈に感じ取る事ができる。

ご冥福を。

hike

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