哀川翔の昔話!父親や本名と実家が壮絶な件について!!

哀川翔さんにはそのキャラクターに
負けないほどの様々な
昔話があるそうですが、その中でも
ご実家にまつわるお話は壮絶です。

5歳で亡くなった父親のエピソードは、
こんな大変なこと…、という内容です。

哀川翔さんはご本名なのでしょうか?
という点も含めてみていきましょう。

 

 

哀川翔の父親にまつわる昔話とご実家や本名について

 


まずは、
哀川翔さんの父親にまつわる昔話と
ご実家や本名についてご紹介います。

哀川翔さんの父親は、
5歳の時に亡くなりました。

それから母親のご実家のある鹿児島県で
お育ちになっているようですね。

昔でも今でも父親がいない生活は
大変かと思います。

哀川翔さんの本名は福地家宏さんと
いいます。

1961年5月24日生まれで
2016年の現在は56歳です。

哀川翔さんの父親は
どんな方だったのか調べてみると、
「海上自衛隊の航空幹部」
との記述を見かけます。

海上自衛隊には航空要員という
人たちがいるそうで、
おそらく、哀川翔さんの父親はその中の
偉い方だったようですね。

その自衛隊にお勤めになっていた
父親は、訓練中に亡くなります。

前述のように、これが
哀川翔さんの5歳の時です。

ご自分の父親のお顔が
テレビに映った様子を
哀川翔さんは覚えているようですね。

その時の哀川翔さんの母親は、
臨月だったため長距離の移動が難しく、
哀川翔さんが父親のご遺体の確認に
行かれたそうです。

ご遺体の確認をする遺族の
お迎えが来た際、哀川翔さんは一人で
その場所に向かわれたのです。

ご遺体の確認まで、
1週間かかったそうです。

ご遺体の確認に向かわれてから
10日後に
弟さんがお生まれになります。

ご遺体の確認の時には、
家に早く帰りたい気持ちが大きく、
ショックが通常考えられるよりも
どうも小さかったようです。

この話を知ると、
5歳の男の子しかご遺体の確認に
出向けない事情のあるご家族ならば、
ご遺体が出てくるまで
呼び出ししなけりゃいいのに、
とも思ってしまうのですが、
哀川翔さんにとっては
いい方向に働いたのですね。

よく考えてみると、
確かにテレビなどでは、
ご家族が早々と現地に向かわれる様子が
出ています。

素人には分からない何かの方法なのかも
しれませんね。

自分の父親のご遺体を確認後には、
母親の実家で弟さんの誕生、
哀川翔さんだけでなく
他のご家族にとっても
相当おつらい時期だったことでしょう。

ご遺体の確認だけでなく、
お葬式なども大変だったのでは
ないでしょうか。

出産直後の母親がお葬式に出ることも
難しかったことでしょう。

哀川翔さんの父親は
転勤の多いご職業だったためか、
ご存命中の転居が多かったようです。

お生まれは、徳島県。
それから山口県、栃木県、千葉県、と
お住まいが変わられているようですね。

哀川翔さんの母親も大変でしょうが、
哀川翔さんご自身は、
知っている人の少ない環境で
自分の父親の葬儀から生活を始める、
ってなかなかのご経験をされています。

ご遺体の確認と同じくらい、
ハードだったのではないかと思います。

 

 

哀川翔さんのイメージと哀川翔さんがなさっていること

 


5歳で父親を亡くされた哀川翔さんは、
母親のご実家のある鹿児島県で
お育ちになります。

本名は福地家宏さんとのことですが、
本名の苗字は父親方か母親方なのかは
ちょっと分かりませんでした。

哀川翔さんのキャラクターにふさわしい
昔の伝説話が多くあるようです。

また、それとは別に昔から
動物好きな面もお持ちです。

最近では、カブトムシの飼育セットなど
プロデュースなさっているとのこと。

カブトムシを捕りに行くって、
方法は人によるかもしれませんが、
仕掛けを用意したり大変なんですよね。

カブトムシの飼育に必要なものは、
ホームセンターで探せば
あるモノなのですが、
子育てで忙しい家にとって、
セットになって販売されているのは
気軽でありがたいものです。

父親のいない環境でお育ちになった
哀川翔さんの関わることには、
家族の中の父親が忙しいなどの事情で
いなくても、
父親と一緒に楽しむであろう要素の
遊びや学びが
多く含まれている気がします。

キャンプをなさったり、
積極的にモータースポーツに
参加なさったり、という様子を
拝見すると、
哀川翔さんの男らしさのあらわれかな、
とも思いますが、
たくさんの方に「父親」らしさを
出しているようにも見えますね。

おすすめの記事