オリンピックのパブリックビューイング不許可だと!?商業主義化の問題!オリンピックは誰のもの?

オリンピックのスポンサー以外の
パブリックビューイング以外は許可
しないというJCOの知らせが。

このオリンピックのパブリックビュー
イングを不許可とするのは商業主義
ではないか?という意見もある。

ICOによるオリンピックの商業化の問題。

そんなオリンピックの商業主義、商業化
の問題についてネットの声を見よう。

 

オリンピックのパブリックビューイングは不許可!商業化の始まりで完全な商業主義問題!?

 


平昌オリンピックを皆んなで集まり
大画面に映して応援するパブリック
ビューイングに大きな規制が入った。

それはスポンサー企業が開催する
パブリックビューイング以外を厳しく
規制し不許可とするものだ。

このパブリックビューイング不許可を
受けて、多くの企業や学校で予定され
ていたパブリックビューングが
中止となってしまった。

オリンピックのパブリックビュー
イングが厳しく取り締まられる
事に対し、これは商業化が過ぎる
問題で、行き過ぎた商業主義では
ないかという声も相次いだ。

確かに、近年のオリンピックは
商業化が以前よりもだいぶ進んでいて、
今回の規制も商業主義の問題の
一環とも受け止める事が出来る。

このオリンピックの商業化に対して
ネットの声はどの様な意見なのか
見ていくとしよう。

確かに、これらの声を見る限り
オリンピックのパブリック
ビューング不許可の問題にあるのは
オリンピックの商業化の問題である。

今回のオリンピックのパブリック
ビューイングを許可制とする理由は、
表向きは高い広告費を払ったスポンサー
のみが独占的にオリンピックの商標を
使える権利を守る為という理由。

すなわち、スポンサーのみがパブリック
ビューイングを出来る事を許可しないと
他の企業なり学校がオリンピックの
商標を使って自らの宣伝活動に繋がって
しまう事を防ぐ為である。

この様なオリンピックを利用しての
広告法をアンブッシュ(不正便乗商法)
と言う。

したがって、その様な商売とは無縁な
自治体等は例外的に認められている。

とは言っても、やはりこのパブリック
ビューイングを一部のスポンサーや
自治体しか許可しないというのは、
やはりやり過ぎな印象がある。

確かに、ネットの声にもある様に、
近年のオリンピックがここまで
大々的に行えているのは商業化を
進めたという要因もあるだろう。

しかし、行き過ぎた商業化は
商業主義の問題に発展をし、
オリンピック組織委員会は一体
誰の為に、何の為にオリンピックを
開催しているのか分からなくなる。

このオリンピックの商業化、
並びに商業主義の問題は、
オリンピック存続の為にある意味
必要悪の問題でもあるが、その
莫大な資金のあり方に疑問が
残る部分も多い。

 

オリンピック商業主義問題!そもそものオリンピックとは?

 


オリンピックのパブリック
ビューイングの大幅な規制と、
一部のスポンサーや自治体にしか
パブリックビューイングを許可
しないというのは商業主義問題が
隠れている問題とした。

確かに、パブリックビューイングに
ある程度の許可制を設けるのは
スポンサーの保護に必要ではあるが、
スポンサーの方を向き過ぎなオリン
ピックの商業化された運営方法には
以前疑問が残る。

オリンピックの商業化、
並びに多少の商業主義化の
問題は必要悪かもしれないが、
オリンピックの盛り上がりに大きく
水を差過ぎがしてならない。

では、本来のオリンピックとは
どの様な意義があった物だったのか
歴史を簡単に振り返ろう。

古代オリンピックが開催をされたのは
誰もが知る様に古代ギリシアである。

紀元前9世紀頃にオリンピックが
開催をされてた。

当時の古代ギリシアはポリス同士での
争いが絶えなかったが、4年に一度
開催されるオリンピックは現代とは違い
宗教色が強い物だった。

オリンピックはオリンポスの主神
ゼウスを崇める物であり、聖戦
という意味合いで行われいた。

従って、ポリス同士の争いを即時
一時休戦してまで、オリンピックに
参加をするという慣わしであった。

そんな古代ギリシア系譜のオリン
ピックは、ローマ帝国による支配も
あり393年に一旦は幕を閉じた。

そして、2回目のオリンピックの始まりは
オリンピックの父で名高い、フランスの
クーベルタンが近代オリンピックの
復興を1892年に行った物だ。

1892年当時といえば、欧米を諸国を
中心として近代化が進み、対外膨張
主義が進んでいた時代。

つまり、他の国を植民地化して
その領土を自国の物として
世界規模の勢力を広めていた時代。

そんな時代に於いて、クーベルタンは
究極の世界平和を体現する為に
オリンピック復活を唱え、実現させた。

その当時は、オリンピックとは
平和の意味合いが強く、商業主義の
問題とは縁遠かった。

確かに、元々オリンピックとは
商業主義とは全くかけ離れた
理念の元構想された物であり、
究極論を言えば永続的にそうある
べきであろう。

しかし、悲しいかな現代においては
その様な商業主義とは全く無縁な
オリンピックは無理である。

従って、ある程度の商業主義の
問題は常にあるのは良いとして、
問題はそれが行き過ぎている
という事なのだ。

果たして、今後もオリンピックは
商業主義色が強いまま開催を
されていくのだろうか?

 

まとめ

 


オリンピックが商業化された
物とは言え、選手にとっては
4年に1度の真剣勝負の大舞台。

兎に角、全力を尽くしての
真剣勝負に期待するだけだ。

参考
Yahooニュース
産経ニュース
JOC公式サイト

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