BOOWY結成秘話と解散理由!真相を高橋まことが暴露していた!?

1980年、音楽性の違いからバンドを
脱退し、当時の彼女がくれた
RCサクセションのライブを見て、
氷室京介は失いかけていた
音楽への思いを取り戻した。

そして故郷で旧知の仲であった布袋寅泰
を六本木の喫茶店「アマンド」に
呼び出し、バンドの結成を持ち掛ける。

これが1980年代に一世を風靡したバンド
「BOOWY」の結成のきっかけになった。

1988年に衝撃の解散。元ドラムの
高橋まことがその秘話を語っていた。

 

伝説のバンド「BOOWY」の結成秘話

 


「BOOWY」の結成秘話は1980年に
さかのぼる。

氷室京介は、レコード会社の意向で
バンド「スピニッヂ・パワー」の
ボーカルとしてデビューしたが音楽性の
違いにより脱退する。

悪い事は続き、その当時付き合っていた
彼女とも別れてしまい、故郷に帰る
決意をしたが、その彼女のプレゼント、
「RCサクセション」のライブチケットを
握りしめて最後の音楽の思い出作りに
ライブに出かけた。

そこで氷室京介はモチベーションを
取り戻し、彼は故郷群馬の旧知の仲で、
彼自身「ライバル」と呼ぶ布袋寅泰を
六本木の喫茶店「アマンド」に呼び出し
バンド結成の話を持ち掛けた。

これが1980年代に斬新なビジュアルと、
ポップでありながらシャープなエッジの
効いたサウンドでミリオンセラーを記録
した「BOOWY」の結成秘話である。

そのBOOWY結成時の布袋寅泰が語った
秘話によると、故郷の群馬時代の
氷室京介は硬派の印象だったが、上京後
当時流行のニューウェーブ系の服装に
変化していて驚いたと話している。

そして1981年、バンド名を「暴威」と
名づけ、5月11日に新宿ロフトで
観客13人を前にデビューライブを行い、
高橋まことが加入する。

1982年にバンド名をBOOWYと変更し、
音楽性の変化によるメンバー変更を経て
1985年にシングル
「ホンキー・トンキー・クレイジー」、
1986年にシングル
「わがままジュリエット」を発売し、
同年にアルバム
「BEAT EMOTION」、1987年に
「PSYCHOPATH」でミリオンセラーを記録
して、BOOWYはトップバンドに
のし上がった。

バンドの結成秘話にはビートルズなら
ジョンとポールの様な二人の才能の
出会いから始まるストーリーが多いが、
同時に周囲に不仲ではないかという
憶測を生み、結成当時とは変わって
しまったとのゴシップの秘話もまた
少なくない。

BOOWY解散時の秘話に氷室京介と
布袋寅泰の不仲が取り上げられる事も
あるが、その真相はどうなのか?

 

BOOWYの解散理由は?高橋まことが明らかにした事実から判明するバンド内の空気

 


宝島社が2004年にBOOWYの解散について
取り上げた本、
「BOOWY B to Y
THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS」
によると解散理由については以下の
様な記述になっている。

1986年12月16日の長野市民会館での
ライブ後、布袋寅泰はBOOWYの解散を
提案した。

アルバム「JUST A HERO」でBOOWYの
音楽の完成形を見た事や、
「BEAT EMOTION」がオリコン1位を獲得
した事で、以前から「1位を取ったら
解散」と冗談交じりに話していたが、
それが現実になった事により、
ここで初めてBOOWYの解散理由が
高橋まことら他のメンバーとの
共通認識になったのである。

以上がBOOWYの解散理由についての
記述である。

またBOOWYはメジャーになった事と
引き換えに「商業的アイドル」の
不本意なレッテルを貼られた事も
解散理由として語られる事が多い。

明らかに売れ線を狙ってポップな要素を
盛り込んだ曲で売り出すバンド、そして
斬新な取り組みをした結果売れたバンド
を一緒くたに「産業ロック」と揶揄する
風潮は1970年台後半の洋楽シーンに
台頭したTOTOやボストンがデビューした
頃から存在した。

ミリオンセラーを記録する程売れた結果
人気が先行した事により、
「産業ロック」の言葉に象徴される
商業的なバンド、もしくはアイドルの
レッテルを貼られる事には布袋寅泰も
耐えられなかったと述べている事も、
BOOWYの解散理由を裏付けている様だ。

しかし元メンバーの高橋まことが
2007年4月に発売した著書「スネア」の
中で書かれている解散理由は次の様な
内容である。

布袋寅泰は妻である山下久美子の
バックで演奏する事も並行して行って
いたが、そこにBOOWYのメンバーである
ベースの松井恒松、そしてドラムの
高橋まことまで誘われる事となり、
これはまずい事になったと考えた
高橋まことが氷室京介にその事を伝え、
それをきいた氷室京介が
「来月解散しよう」と言った事が
解散理由という事だった。

宝島社の本の内容と高橋まことの本の
内容には一見隔たりがある様だが、
BOOWYとして成功し、やれる事は殆ど
やったとの思いが、この恬淡とした
終結宣言にも表れていた様に見える。

実際に、氷室京介はその内容の発言を
音源に残しており、宝島社の本と
高橋まことの本との両本の記述に
合致しており、どちらが信憑性があるか
ここでは論じられない。

だがここで忘れてならないのは
氷室京介は布袋寅泰は最高のギタリスト
であると思っている事と、布袋寅泰は
氷室京介の為にBOOWYのスポークスマン
を買って出ていたという信頼関係だ。

BOOWYの解散理由には色々な角度からの
推測があるが、バンドには必ずその活動
において終着点があり、解散後にも
それぞれのメンバーの進路がある事も
忘れてはならない。

 

まとめ

 


BOOWY結成秘話で布袋寅泰が
呼び出された際、彼はその時の
高等遊民の様な生活ぶりを
聞いていると知って殴られると思った
事を明かしている。

しかしBOOWY内ではお互いに信頼し合う
関係であり、BOOWYで二人の才能が開花
した事が以後の活動に大きなプラスと
なった。

高橋まことが本で著した内容も、二人の
信頼関係があるから、BOOWYの
解散理由を阿吽の呼吸で判っていた
という事の証拠だろう。

参考サイト
//spinout-kj.com/aoki-norichika-trade-riyu-6358/
//news.yahoo.co.jp/byline/toyorashotaro/20170802-00074069/
//shine-egg.com/okuharanozomi-injury-brother

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