お笑い芸人の松本人志さんと言えば、
今や、芸能界でもかなりの地位に
ついているベテランだと言えます。

しかし、
子供時代には数々の貧乏エピソード
存在していました。

その数々のエピソードを見て、
現在の松本人志さんにどの様な
影響を与えたのかを見て行きましょう。

 

 

 

 松本人志子供時代の貧乏エピソードの数々!

 

ダウンタウンの松本人志さんは、
現在のお笑い芸人の中では、
重鎮ポジションについていて、
その年収はかなりの物だと
考えられます。

しかし、
そんな松本人志さんの子供時代は
貧乏なエピソードに満ちていました。

お金が無さ過ぎて、松本人志さんも
あの頃にはもう戻りたくないと
言うまでです。

一方で、
子供時代の経験は現在の自分を
形作ったとも言っています。

そして、その経験は相方の浜田さんが
歌う「チキンライス」の歌詞に
繋がったとも言われています。

更に詳しい、
松本人志さんの子供時代の貧乏
エピソードについて見て行きましょう!

 松本人志さんの貧乏で意外な子供時代!

松本人志さんの子供時代は意外な事に、
気弱でいじめられっ子だった様です。

幼稚園のプールの授業で自身の
水鉄砲を取られた際にも、
ただ泣きわめくだけで、
何も出来なかった事が自著の
「遺書」の中で語られています。

今の気の強さが、
度々見て取れる性格を考えると、
これは意外ですね。

では、どうやってそんな状況から
抜け出せたかと言うと、
父親に演芸上に連れて行ってもらい、
お笑いに目覚めた事で小学校の中で、
ギャグが大ウケして、いじめられっ子
から離脱出来たというのです。

お笑いが松本人志さんを変える
原動力になったのですね。

そんな子供時代の松本人志さんは、
兵庫県の尼崎市に住んでいました。

この地域は現在でも治安が悪い街で
知られていて、松本人志さんが
子供時代に通っていた潮小学校には、
工場からの煙対策に空気清浄機が
置いてあったと松本人志さんの口から
語られています。

また、松本人志さんは、
駅はお酒のホップの臭いが常に
漂い、変わった人々と貧乏な人が
住む町であったとも回想していました。

尼崎市に住む裕福だと思われていた
家庭が他の地域に比べるとそこまでじゃ
無かったという逸話から、当時の
松本人志さんの住んでいた地域の
貧乏さが垣間見えます。

松本人志さんも当時の自分の家庭の
貧乏さをネタにしており、
自分は(総額)50~60万円で
育てられた」という冗談を言って
いるのです。

家族構成は、
父の松本穣一さん、
母の秋子さん、
兄の隆博さん、
姉の奈緒美さんです。

松本人志さんはつまり、
3兄弟の末っ子という事になります。

松本人志さんが兄弟の中で
一番下なのは、普段多くの後輩芸人の
面倒を見ている事を考えると、
意外に思えますね。

父である松本穣一さんは破天荒な
性格で松本人志さんの姉の
奈緒美さんが長時間の長電話を
していた時に出刃包丁で電話線を
切った逸話があります。

そんな、松本家ですが、
父の松本穣一さんの仕事は、
室内装飾や舞台装飾でした。

どうやら、
この仕事は儲からなかったらしく、
松本人志さん一家は常に貧乏だったと
いいます。

しかし、そんな状況だと、
逆に人は逞しくなるのか、
松本人志さんの子供時代の
エピソードは活力と工夫と笑いに
満ち溢れているのです。

 松本人志さんの貧乏な子供時代エピソード!一覧!

松本人志さんの子供時代の貧乏な
エピソードは枚挙に暇がありません。

そんな数々の貧乏エピソードを
紹介していきましょう。

 小学生時代弁当箱を開くのが嫌だった!

松本人志さんが学校で嫌だった事は
弁当箱を開く事だったと言います。

それもその筈、他の子は弁当の品目が
数種類だったのにも関わらず、
松本人志さんの弁当はご飯と鮭が
入っていただけでした。

服も穴だらけで、
他の子供達に比べるとみすぼらしいと
感じた子供時代の松本人志さんは、
見栄を張りに張って、自分を貧乏だと
見せない様にしていたと述べています。

学校という場所は確かに、
自分の家庭と他の家の違いを
如実に現わしてしまう残酷な
場所だったと言えますね。

 エア自転車エピソード!

松本人志さんの子供時代の貧乏
エピソードは、まだまだあります。

子供時代に友人達が自転車で
走る中、子供時代の松本人志さんは
自転車を漕ぐような動きをして、
走っていたというエピソードが
あるのです。

実は、
この様なエピソードが出来た理由は、
松本人志さんが自転車に鍵をかけ忘れ、
自転車を盗まれてしまった為でした。

貧乏だった松本人志さんは、
新しい自転車を買ってもらう訳にも
行かず、この様な自転車を漕ぐ
真似をする事になったのです。

貧乏である事を自身の気の持ち様で
乗り越えたエピソードだと言えますね。

 兄との練乳の共同購入やみたらし団子作成エピソード!

松本人志さんの貧乏エピソードには、
近くに住んでいた相方の浜田雅功さんの
話題も出てきますが、
同じ家庭の環境で育った兄である
松本隆博(たかひろ)さんとの
エピソードも貧乏ながらもユニークさに
満ち溢れています。

ある日、松本人志さんと隆博さんは、
共同で80円の練乳を購入し、
水でかなり溶かしてから丼鉢に入れ、
割りばしで少しずつ舐めるという事を
していました。

それで、
松本人志さんと隆博さんは
互いに、「半年は持つな!」
と話し合っていた様です。

また、ある日、
隆博さんがみたらし団子を作る技術を
学んできたと言って、再びお金を
出し合って、みたらし団子を作成した
事も松本人志さんの口から
語られました。

しかし、
その結果は大失敗に終わって、
2人は大泣きしたそうです。

貧乏ではあるけど、
兄と一緒に貧乏という苦を
アイディアで乗り切ろうという
気概が伝わってくるエピソードですね。

 松本人志の親に対する気遣いエピソード!

松本人志さんの子供時代の
貧乏エピソードは、
まだまだ存在します。

松本人志さんは子供時代、
貧乏ではありましたが、両親に
気を遣う子だったと言えます。

稀に行く寿司屋では、
安そうという理由でタコばかりを
食べていたそうです。

また、他の家庭で子供が親の財布から
お金をくすねるという事を耳にした時、
松本人志少年は決して真似をしません
でした。

理由は明確で、もしそんな事をすれば、
家計にダメージを与え、
自分の生活の質が下がる事が目に
見えていた為です。

貧乏であったが為に、子供時代から、
大人の事情に気を遣っていた事が
分かるエピソードですね。

これ等の他にも以下の様な、
子供時代の貧乏エピソードが
存在します。

・家の抜けた穴はお金が無い為
放置

・焼いたウインナーを「焼肉」と
称する

・ペルという名前の犬を飼っていたが、
エサ代に困り、父親が処分した

・松本人志さんは左利きであった
為に専用のグローブが必要で、
その代金を出してもらえそうに
無かったので、野球部を一日で辞めた

子供の頃に美味しい物を満足に
食べられないのは、少し悲しいですが、
この時の経験が、松本人志さんの
その後の成功への意欲に繋がっていった
と考えられます。

 松本人志さん子供時代の貧乏生活の後!

以上の様に子供の頃はかなりの
貧乏生活を送っていた松本人志さん。

中学生の時は新聞配達のバイトをし、
それ以降は様々なバイトをこなしながら
生活をしていた様です。

経験したバイトの中には、
中央市場で早朝にスイカを運ぶ、
時給340円の仕事などのハードな物が
ありました。

子供の頃から比べると、
アルバイトの賃金があるのは、
大きいですが、それでも中々の
苦労エピソードだと言えますね。

その後もアルバイトを多く経験した
松本人志さんですが、
高校卒業後に日刊アルバイトニュースの
印刷工になる所を浜田さんの誘いを
受けて、当時、吉本興業が開設した
ばかりのNSCに入る事となりました。

その理由は、
働きたくなかったという怠惰な
物でしたが、松本人志さんは、
それまでにずっと働いていたので、
若さ故に働かない時を経験したかった
のかも知れません。

https://twitter.com/_oOJUNOo_/status/843470430367174656?s=20

とはいえ、在学時代もバイトをし、
そして成功をおさめ、今では
過去の子供時代の貧乏生活が
嘘の様に売れっ子となったのです。

本当にサクセスストーリーとは、
この事だと思ってしまいますね。

 

 

 松本人志の子供時代の貧乏を経ての今!

 

松本人志さんは、子供時代の貧乏
エピソードを今でも面白おかしく
話していますが、同時に貧乏だった
子供時代に戻りたくも無いと
話しています。

そして同時に、
あの頃の貧乏時代があった為に、
今の自分があるとも話しています。

それはどういうことなのでしょうか。

詳しく見て行きましょう。

 松本人志の貧乏だった子供時代が作った今!

松本人志さんは、自著「遺書」で、
面白い奴」になる条件は、
ネクラ、貧乏、女好き」だと
述べています。

ネクラは自分だけの世界を持っていて、
女好きは女性を口説く為に口が
上手くなり、結果的に面白くなると
いう訳です。

では、貧乏が何故、面白い奴に
繋がるかと言うと、それこそ、
松本人志さんの子供時代に関わって
きます。

松本人志さんは貧乏が面白い奴を
生み出す理由として、子供時代に
貧乏だと、遊び道具が無く、
仕方が無く自分で遊ぶ方法を
生み出そうと想像力を働かせる様に
なる為だと述べているのです。

まさしく、先述した松本人志さんの
子供時代にその事が表れていると
言えます。

自転車が無くなったら、その真似をして
走り、兄と共に貧乏ながらも甘味を
楽しむ方法を模索する。

そんな経験が、今の松本人志さんを
「面白い奴」に変えたと言えるのです。

松本人志さんの子供時代の貧乏経験は
無駄では無かったと言えますね。

 子供時代の貧乏生活が元!松本人志さん作詞のチキンライス!

松本人志さんの相方である、
浜田雅功さんが歌う「チキンライス
という曲をご存知でしょうか?

この曲は松本人志さんが作詞を
していますが、まさしくこの曲に
松本人志さんの貧乏だった子供時代と
今の思いが表れています。

歌詞の内容は昔は珍しく家族で
贅沢をして外食に行く中で、
子供である自分は親に気を遣い、
安いチキンライスを頼むという話。

松本人志さんがたまの贅沢に、
親に寿司屋に連れて行ってもらった
時に、タコばかり頼んでいた
エピソードに被りますね。

そして、大人になった今、
子供時代には頼めなかった物を
なんでも頼めるようになったけども、
結局はチキンライスでいいや
という歌詞内容になっています。

これは、芸人として大成功して、
今では寿司もタコだけ頼まなくても
大丈夫になったけど、子供時代の
あの貧乏だった時代の経験は、
自分の中で今でも生きているという
事を言っているのかと思わせる
内容です。

松本人志さんからすると、
子供時代の貧乏体験は二度と
味わいたくないけど、
大事な思い出である事に
変わりないのがこの歌から
窺えます。

 

 

 まとめ

 

子供時代の貧乏生活の経験が活き、
今やベテランのお笑い芸人となった
松本人志さん。

そんな、
松本人志さんは現在、奥さんとの間に
娘を一人授かっています。

かなりの溺愛ぶりで、
その親バカぶりが、今では、
かなり世間に広まっていますね。

そんな一児の父となった松本人志さん
ですが、自分の子供時代と違って、
娘に色々としてあげられる程の
収入があります。

貧乏は面白い奴を作るという話を
松本人志さんはしていましたが、
娘に対しては、そんな貧乏さを
感じさせない生活をさせそうですね。

RuRuhase

<参考サイト>
Asagei plus
マイナビニュース
Asa-Jo

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