オグリキャップの伝説【有馬記念】【引退式】感動のサクセスストーリー

1987年から1990年まで活躍した
競走馬のオグリキャップのお名前、
今でも多くの方が記憶していますかね。

今年はオグリキャップのデビューから
30年です。

最期のレースとなった
1990年有馬記念の優勝と引退式は
絶大な人気を誇った
オグリキャップらしい
伝説にもなるような内容でした。

競馬に興味を持つ人がたくさん増え、
第二次競馬ブームをけん引しました。

1991年にはダービースタリオン、
1993年にはウイニングポストと、
ファミコンやパソコン向けのゲームまで
発売されるほどでした。

 

 

地方競馬から生まれた伝説のスターオグリキャップ

 


伝説とも言える競走馬オグリキャップは
ただ単に強かった、速かった、
だけではありませんでした。

1990年の有馬記念での
感動的な優勝と引退式までの道のりも、
伝説となったオグリキャップが
人の心を惹きつける大きな要素です。

デビューは地方競馬(岐阜・笠松)で、
そこでの圧倒的な強さから中央競馬へ
移った経緯のある競走馬でした。

しかも、生まれた時から
競走馬として期待される素質が
ありませんでした。

それでも、手をかけて育てられた彼は
後に大きく活躍し、伝説となるのです。

生まれの稲葉牧場では、
生まれた時からあった
オグリキャップの脚の不具合を
稲葉不奈男・牧場長が蹄を削って
矯正し、成長とともに改善させます。

競走馬として必要な教えを受ける
美山育成牧場では、
吉田謙治・従業員の調教を
多く受ける機会に恵まれました。

負けん気が強く、食いしん坊だった
オグリキャップの性格は、
丁寧に育てた方々の労に
大きく報いていくのです。

笠松デビュー後のオグリキャップの
活躍は多くの方が知るところですよね。

オグリキャップの中央競馬への移籍話は
中京競馬場で行われる
中京盃優勝後大きくなりました。

笠松競馬場はダートのコースですが
(細かい土や砂が敷かれています。)、
中京競馬場は芝のコースです。

中央競馬が行われる競馬場のコースも
芝なんですよね。

周囲の期待は膨らみます。

この優勝後は、初めの頃のように
活躍できるだろうか?と
心配されていた空気なんてありません。

でも、生まれた時からオグリキャップを
大切にしてきた馬主・小栗孝一さんは
中央競馬で走らせることを
考えていませんでした。

笠松競馬場の鷲見昌勇・調教師も
同じでした。

鷲見昌勇・調教師は東海ダービー制覇を
何より強く望んでいたのです。

それでも、
馬主・小栗孝一さんを説得した
佐橋五十雄さんが新しい馬主になり、
中央競馬へのオグリキャップの移籍が
決まったのです。

オグリキャップの装蹄をしていた
笠松競馬場の三輪勝・装蹄師は、
佐橋五十雄さんの強い働きかけによって
中央競馬でも装蹄を引き続き行います。

三輪勝・装蹄師は、
地方競馬と中央競馬両方で
オグリキャップの活躍を支えました。

 

 

中央競馬デビューから有馬記念の引退式

 


今では伝説となったオグリキャップは、
1988年の中央競馬移籍後も
活躍を続けます。

GIII、GIIともに3戦3勝した後、
GIは天皇賞(秋)で2着、
ジャパンカップで3着、
そして、有馬記念で優勝します。

クラシック競争と呼ばれる
古くからの有名ないくつかのレースに、
オグリキャップは
残念ながら出られませんでしたが、
1990年の有馬記念での引退式までに
残した成績は素晴らしいものでした。

その素晴らしさは、
オグリキャップ引退後にあった
制度の変更からも知ることができます。

数えで4歳の競走馬が出場する
クラシックレースは、
かなり早くに出走馬の登録を
しなければなりませんでした。

時期は、生まれた年から次の年の6月。

オグリキャップで言うならば、
稲葉牧場にいた時期です。

誰もオグリキャップが中央競馬で
伝説的な活躍をするなんて
思っていない時でした。

しかも、馬主さんをはじめとした
みんなが地方競馬での活躍を
本気で願っていたんです。

だけど速いものだから中央に移籍して、
中央競馬でも大人気になったけれど、
登録のルールが厳しくて
クラシックレースの出場が無理だった。

これが所以で、
クラシックレースの追加登録が
認められるようになりました。

また、オグリキャップに乗った
騎手の活躍もオグリキャップ伝説を
色褪せさせない要因になっています。

笠松デビュー直後は
青木達彦・騎手や高橋一成・騎手が
乗っていましたが、偶然が重なって
6戦目から安藤勝己・騎手が騎乗します。

中京盃を含めた6戦目以降の
地方のレースは安藤勝己・騎手とともに
優勝し続けます。

安藤勝己・騎手は、
後に中央競馬へ移籍して活躍します。

中央競馬では、ベテラン河内洋・騎手で
デビューから立て続けに優勝します。

1988年の1レースと1989年の全レース
は、南井克巳・騎手が騎乗します。

南井克巳・騎手は、
オグリキャップのライバルだった
タマモクロスの主戦騎手です。

タマモクロスは、
オグリキャップのGI初優勝となった
1988年の有馬記念で
2着となったのを最後に
引退しています。

このライバル対決となった1988年の
有馬記念では、オグリキャップに
岡部幸雄・騎手が騎乗。

そして、タマモクロス引退後の
1989年は、
南井克巳・騎手とともに戦うのです。

この年は、脚の異常で8ヶ月半もの間
休養となった辛い時期でしたが、
残り3ヶ月半でオグリキャップは
6レースを走り切りました。

引退すると思われたその1989年の翌年、
1990年もオグリキャップはレースに
出続けます。

2着になった宝塚記念では、
24歳の若さで亡くなる岡潤一郎・騎手、
天皇賞(秋)とジャパンカップでは
残念ながら振るいませんでしたが
翌年に引退する増沢末夫・騎手が
騎乗します。

そして、オグリキャップの
1990年の初戦・安田記念と
最後のレース・有馬記念では
武豊・騎手が騎乗し、優勝します。

引退レースとなった有馬記念で、
オグリコールが沸き上がる中、
まだ21歳だった武豊・騎手を乗せた
オグリキャップが
ゆっくりとコースを周る姿も
伝説のイメージシーンとして
忘れられない人も多いことでしょう。

地方競馬出身のオグリキャップは、
引退時には笠松競馬場へ里帰りする
取り決めがありました。

新旧馬主の
小栗孝一さんと佐橋五十雄さんとの間で
交わされた固い約束です。

そこで、オグリキャップの引退式は
京都、笠松、東京、
の3つの競馬場で行われました。

特に笠松競馬場での引退式は、
地元出身のスターの姿を見ようと
岐阜県笠松町の人口の数よりも
多くの人が詰めかけました。

幾人もの匠たちの手によって成長した
伝説の快馬・オグリキャップ。

人の運命までも乗せているかのような
オグリキャップの走りは、
今でも伝説まま人の心に残っています。

NHKプロフェッショナル仕事の流儀
では、お仕事をなさる方々に焦点をあてた
内容が続いていました。

来週月曜日放送の主人公は、初めて
人でなく動物が採り上げられます。

それほどのスターホースであった
という事なのでしょうね。


【参考】
www.youtube.com/watch?v=FVGNTqmeFzk
www.youtube.com/watch?v=6RHzTH96Ydw
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97#.E3.82.AF.E3.83.A9.E3.82.B7.E3.83.83.E3.82.AF.E7.99.BB.E9.8C.B2
www.nhk.or.jp/professional/schedule/index.html

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