新元号令和の考案者が国文学者の
中西進氏ではないかと目されています。
再婚を2度している中西進氏ですが、
2人目の夫人は病気で亡くなっており、
娘を1人、水の遭難事故で亡くして
います。
その経歴に関しても詳しく
見て行きましょう。
中西進氏の再婚!2人目の夫人や遭難した娘について!
新元号令和の考案者は政府から
発表されていませんでしたが、
日本文学を専門とする中西進氏が
考案した物ではないかとの噂が
専門家の間で広がっています。
中西進氏は2度の再婚をしていますが、
2人目の夫人は病気で亡くなり、
また、娘の一人が水の遭難事故で
亡くなっています。
記事前半では、
中西進氏自身の基本的な情報と
夫人との再婚、そして、
遭難に遭った娘の事ついて
触れて行きます。
また、中西進氏の経歴の中に今回の
考案者として目されている理由があると
言われています。
令和という元号の参考元となった
万葉集がその鍵を握っているのです。
記事後半では、
中西進氏の経歴と万葉集との
関りについて見て行きます。
中西進氏とは?
中西進氏(現在89歳)は、
日本の古典詩歌を専門とする
文化勲章受賞をした事もある学者です。
政府が新元号考案の依頼をした学者の
内の1人に含まれていました。
しかし、
中西進氏自身は考案者である事を
否定しています。
中西進氏の再婚と夫人!遭難した娘について!
中西進氏は2度の再婚をしています。
1人目の夫人についての詳細は
不明ですが、2人目の夫人である
中西ひろ子さんは2011年に腎臓病の
悪化で亡くなっています。
また、2人は当時、25歳娘の一人を
バリで起きたスキューバダイビングの
遭難事故で亡くしています。
現在では30程、年の離れた女生と
2度目の再婚をしています。
遭難で亡くなった娘の姉に当たる
中西ひろ子さんの連れ子だった娘
や、その他にも子供がいると
言われています。
もし、中西進氏が考案者である
という事が事実ならば、
娘と妻を亡くしているという、
悲しい出来事を乗り越えて、
今回の元号を考えたのでしょうか。
中西進氏の経歴!万葉集との関りとは?
中西進氏が、
令和の考案者と目された理由は、
その経歴と万葉集との深い関りが
あります。
次は、
中西進氏の経歴と万葉集との深い関りに
関して触れて行きます。
中西進氏の数々の経歴!
中西進氏の過去には以下の様な、
数多くの経歴があります。
・東京大学大学院修了
・文学博士
・文化功労者
・文化勲章受章
・成城大学教授
・アメリカ・プリンストン大学客員教授
・筑波大学教授
・国際日本文化研究センター教授
・トロント大学客員教授
・姫路文学館館長
・大阪女子大学学長
・帝塚山学院理事長・学院長
・京都市立芸術大学学長
・池坊短期大学学長
・奈良県立万葉文化館館長
・歌壇賞の選考委員
・歌会始召人
また現在では、以下の様な役職を
務めています。
・奈良県立万葉文化館名誉館長
・池坊短期大学学長
・国際日本文化研究センター名誉教授
・京都市立芸術大学名誉教授
・大阪女子大学名誉教授
・高志の国文学館館長
かなり多くの輝かしい経歴を
持っている事がわかります。
中西進氏が令和の考案者と目された理由!万葉集との関り!
中西進氏が令和の考案者と
目された理由には中西進氏の
受賞歴を見ると少し掴めます。
・1963年 「万葉集の比較文学的研究」第15回読売文学賞
・1970年 「万葉史の研究」日本学士院賞
・1990年 「万葉と海彼」第3回和辻哲郎文化賞
・1997年 「源氏物語と白楽天」24回大佛次郎賞
・2002年 京都新聞文化賞
・2004年 「奈良万葉こころ旅」でテレビ放送文化賞
・2004年 文化功労者
・2005年 瑞宝重光章受章
・2010年 「万葉みらい塾」で菊池寛賞
・2012年 アカデミア賞
・2013年 文化勲章受章
以上の様に、令和の元となった
万葉集と深い関りがあります。
また、
「日本文学と漢詩」という著書を
出版している為に漢詩にも造詣が
深いと言われています。
令和の元となった万葉集の歌の
更なる元が漢詩であった事や、
政府から考案を依頼された内の
一人である事から、
中西進氏が令和の考案者では?
と考えられる様になったと言えます。
まとめ
政府が考案者を公表しなかった事で、
誰が考案者かの予想が立てられました。
中西進氏は確かにその可能性は高いと
言えますね。
RuRuhase
<参考サイト>
時事ドットコム
共同通信
ふくろうの庵