松本智津夫【麻原彰晃】の生い立ちと家族!親や子供達の現在は?

オウム真理教のかつての教祖である
麻原彰晃こと松本智津夫らの
刑が執行された。

オウム真理教の地下鉄サリン事件は
後世に残る残虐な事件である。

その主犯として、松本智津夫は
刑務所で暮らしていた。

今回は、松本智津夫の生い立ちや家族
結婚した嫁やその間に出来た子供の
現在までを調べてみた。

 

松本智津夫の生い立ちと家族

 


松本智津夫は、どんな一生を送ってきたのか。

最期は刑の執行によるものだが
その生い立ちや家族はどの様なものか。

嫁や子供は居たのだろうか。

嫁や子供について調べてみると
松本智津夫は、家族を持ち嫁や子供まで
居た、至って普通の結婚をしている。

現在の嫁や子供はどのような心持で
刑の執行を受け止めているのか。

現在、どのような暮らしをしているのか。

松本智津夫は、今から約23年前に起きた
日本史上最悪のテロ 地下鉄サリン事件の
主犯として長年刑務所に拘置されてきた。

ついに松本智津夫の人生の幕は下りたが
23年前から現在まで被害者家族は苦しい毎日を
送ってきていた。

オウム真理教という宗教団体の教祖で
地下鉄サリン事件を起こした主犯の
松本智津夫の生い立ちが気になる。

次では、松本智津夫の生い立ちを
詳しく見て行こう。

松本智津夫 大家族で育った子供時代


松本智津夫の生い立ちを調べてみた。

松本智津夫は、1955年3月2日に
熊本県で生まれる。

両親や兄弟がおり、兄弟は6男3女の
11人家族という大家族ぶりだ。

この9人の子供の内、何人かは水俣病の影響で
先天性の目の疾患があった。

父親は畳職人として働いていたが
その稼ぎだけでは生活は苦しかった。

松本智津夫自身も視力が悪く
左目はほとんど見えていなかった為
幼少期は、盲学校に通う。

この学校に通う際、寄宿舎に移住したが
この生い立ちがきっかけで
松本智津夫の人生が
変わってしまったのではないかと考える。

生活も貧しかった為に、1人でも家族から
負担を減らそうと寄宿舎に預けられた
かの様に思われる。

松本智津夫は、言い方を変えれば
親や家族に捨てられたようにも見える。

その裏付けとして、この盲学校は
学費や宿舎代、食費も無料だった。

寄宿舎で松本智津夫は右目が見える事から
全盲の生徒などを暴力で支配し
子分などにしていた。

驚くのは、高校卒業までの12年間で
同級生への恐喝から得た金の貯金が
300万あった事だ。

しかし、将来の夢は大きく
医者になりたかったが視力の問題で
医師免許が取れず断念。

代わりに鍼灸免許を取得して
さらに大きな夢を掲げる。

「東京大学法学部卒の自民党の政治家となり
ゆくゆくは内閣総理大臣の座につく」

この夢を胸に20歳で卒業したと同時に
実家へ戻り受験勉強に励みつつ
長男の漢方薬店助手として働いている。

大きな夢を語ったり、同級生を暴力の
支配下に置いたりと、その素行は
生い立ち同様にあまり平凡ではない。

次では、松本智津夫の嫁との出会いや
子供に恵まれたことなどを調べて行こう。

 

松本智津夫の結婚 嫁と子供の現在

 


松本智津夫は、22歳の時に東大受験を胸に
代々木ゼミナール渋谷校に入学するも
東大受験を諦める。

その時に嫁の松本知子と出会った。

23歳で嫁と結婚し、持っていた鍼灸免許を
生かして、「松本鍼灸院」を開院。

しかし、わずか8ヶ月で廃院してしまう。

その後、兄と同じく漢方薬局
「亜細亜堂」を開業した。

嫁との間には、6人の子供に恵まれる。

自身の生い立ちと同じく
大家族となった訳だ。

25歳の頃に現在のオウム真理教の基となる
宗教と出会った松本智津夫。

これをきっかけに家族の所に帰らなくなった
夫のせいで精神崩壊が始まった嫁を
子供達は間近で見ている。

この子供たちの生い立ちも悲惨である。

オウム真理教が出来たのは1987年で
宗教にのめり込んだ25歳から7年後の
32歳の時であった。

6人も嫁との間に子供をもうけながら
宗教団体を設立した松本智津夫は
その名を麻原彰晃と呼び始める。

次では、嫁や子供の現在の様子や
オウム真理教で出来た正妻以外との
子供の事まで調べてみた。

松本智津夫の嫁と子供の現在


嫁知子との間の6人の子供以外にも
オウム真理教で複数の女性に15人の子供を
生ませていた松本智津夫。

これは、オウム真理教内における
性の儀式と呼ばれるものがきっかけで
正妻以外との子供が出来た訳だ。

愛人を面接で選ぶという横暴ぶりで
愛人の数は100人に上った。

現在、嫁やその子供達、愛人との間に出来た
子供達はどうしているのか。

松本智津夫の嫁知子は、オウム真理教に
関わったとして、6年の懲役を受けている。

現在はオウム真理教とは無関係で
娘と次男と共に暮らしている。

子供たちはと言うと、三女と四女が
現在それぞれ手記を出版している。

三女は「私はなぜ麻原彰晃の娘に
生まれてしまったのか
~地下鉄サリン事件から15年目の告白~」
という本を出版。

内容は、生まれた家族によって
その人格は大きく形成され
自身はとても生きづらいと言う事。

四女に至っては、表紙に自身の顔を
掲載した本を出版。

「止まった時計 麻原彰晃の
三女・アーチャリーの手記」
としている。

こちらは、三女とは違い父松本智津夫の
無罪を願う内容だ。

これには世間の意見も賛否両論だったが
娘として松本智津夫を見た三女の
独特な視点が描かれている。

ついに23年という長い長い時を経て
松本智津夫は刑が執行された。

残された嫁や子供たちの心境は定かではないが
地下鉄サリン事件の被害者や被害者家族
そして遺族が一様に胸をなでおろしただろう。

 

まとめ

 


今回は、刑が執行された松本智津夫の
生い立ちや家族などを調べてみた。

幼い頃の環境が松本智津夫を
オウム真理教の教祖に、凶悪テロの
首謀者にしてしまった。

残された家族や子供たちの胸中は
計り知れない。

平成の終わりと共に、刑の執行にて
事件の終わりを迎えた地下鉄サリン事件。

これからも日本の平和を形作る上で
忘れてはいけない事件の1つだ。

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<参考サイト>
ヤフーニュース
M家の実情

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