「1コン、2コン、サンコン!」で
お馴染みのオスマン・サンコンさん。
一時期はバラエティー番組で活躍していた
が、現在は何をしているのだろうか?
ホームヘルパー2級取得や叙勲受章者に
選ばれた噂などが気になる!
更に、息子のヨンコンさんや視力低下
についてもまとめて調べてみた!
(以下、敬称略)
オスマン・サンコンの現在は?
ホームヘルパー2級取得して叙勲受章!?
「笑っていいとも!」で変なガイジン
として人気を誇ったオスマン・サンコン。
明るい笑顔と天然ボケのキャラで愛されて
いたが、実は超エリートだった事が発覚。
現在はホームヘルパー2級の資格を取得し
叙勲受章者として表彰もされたという!
タレント活動していた印象しか無いが、
ホームヘルパー2級はいつ取得した
のだろうか?
また、叙勲受章者となった理由は
何だったのだろう?
文章後半では、息子であるヨンコンの
プロフィールや現在についても紹介。
更に、当時は視力が6.0あったという
オスマン・サンコン。
現在は驚くほど視力が低下してしまった
という噂は本当なのか?
息子も同じく視力が良いのか?
など気になる話をまとめて調査した。
実は超エリートだった!
オスマン・サンコンの知られざる経歴
オスマン・サンコンは西アフリカの
ギニア共和国出身。
現在は69歳になっている。
その素顔は、ギニアの国立大学を卒業後、
ギニア外務省に入省した頭脳明晰な人物。
6カ国語を操るマルチリンガルとしても
知られている。
いつもニコニコ笑顔を絶やさない人柄から
は想像も出来なかった経歴である。
一番初めは、外交官として1972年に来日。
以降8年間を日本で過ごした。
そして、1984年にはギニア外務省を休職して
再来日。
「ギニアを広めるため」という目的で
「笑っていいとも!」のオーディションを
受け、そこからタレント活動を開始した。
現在は、教育委員会、企業等のイベント、
講演会、トークショーに参加したり、
NPO法人ギニア日本交流協会の顧問として
ボランティアに参加するなど
福祉事業にも非常に積極的である。
ホームヘルパー2級を取得していた!
そんな知られざる経歴を持っていた
オスマン・サンコンだが、
ホームヘルパー2級の資格を取得
していたという話が!
調べてみると、オスマン・サンコンは
50歳の時に約1年かけ、
確かに資格を取得していた。
オスマン・サンコンがホームヘルパー2級
の資格をとろうと思った大きな理由は、
母にあったそうだ。
基本的に拠点が日本にあり、年に1~2回
しか帰省出来ないオスマン・サンコン。
母に長生きしてもらうために何が出来るか
を考え、日本から物資を送るだけでなく、
介護の知識を身につける事を思いついたのだ。
その母は2005年、86歳で亡くなっているが
60歳で亡くなる事も多いギニアでは
かなり長生き出来た方なのだとか。
それも日本の介護技術のおかげと語り、
今後もギニアに介護を学ぶ場所や
老人ホームを作っていきたいと話している。
実はオスマン・サンコン自身も子供の頃の
怪我で足を悪くしており、現在も
身体障害者手帳2級を所持している。
元々介護について身近に感じるところ
があった事も、ホームヘルパー2級の
取得に繋がったのかもしれない。
オスマン・サンコンが春の叙勲受章!
気になる受章理由は?
次に、オスマン・サンコンが叙勲受章者
となった話について見てみよう。
調査した結果、オスマン・サンコンは
2017年5月、本当に
旭日双光章を受章していた!
受章当時は、
「生まれてきて良かった。
生んでくれた母に感謝しています」
と語っている。
では、何故オスマン・サンコンが
大変名誉ある叙勲の受章に至ったのか?
叙勲受章理由については、
ギニアでの学校建設や
東日本大震災の被災者支援など
長年の社会貢献が評価されたからだそう。
何と、オスマン・サンコンは奇しくも
3月11日が誕生日だった。
あの、東日本大震災が起きた日だ。
オスマン・サンコンはそれに縁を感じてか
積極的に現地で炊き出しや慰問活動を行い
震災以前は盛大に行っていた誕生会も
震災以降は一度も開催していないと言う。
純粋な日本人では無いにも関わらず、
日本に対する敬意を持ち続ける姿勢には
ハッとさせられる。
オスマン・サンコンにまつわる気になる話!
息子や視力低下について
前章で、オスマン・サンコンの素晴らしい
人柄や経歴はおわかり頂けただろう。
ここから先は、オスマン・サンコンの息子
であるヨンコンや、オスマン・サンコンの
視力低下について調べていく。
息子はDJで日本語しか喋れないという
噂も出ているが、本当なのだろうか。
また、一時期は6.0とも言われた
オスマン・サンコンの現在の視力は!?
オスマン・サンコンの息子について
ここでは、オスマン・サンコンの息子
についてまとめよう。
オスマン・サンコンの息子であるヨンコン
は日本人の母との間に生まれている。
名前は「佐伯勇」と言い、
1984年生まれの34歳だ。
東京で生まれて東京で育ったため、
言語は日本語しか喋れないという。
大学を中退後、レゲエグループ「笑連隊」
のDJとしてライブで日本中を回っていた。
その間、稼ぎが足りなかったため、
レストラン接客や酒屋配達、現場作業員等
あらゆるアルバイトに就いていたと言う。
しかし、28歳で母を亡くしたのをきっかけ
にグループを脱退し、2015年1月からは
オスマン・サンコンの事務所に入り
様々な活動を行っている。
更に、プライベートでは2015年11月に
日本人の妻と入籍。
アフリカ人に農業を指導する事を夢に、
妻の実家である静岡で修業中とのこと。
様々な事に興味を持ちチャレンジしてきた
ヨンコンだが、現在はすっかり落ち着き、
福祉・社会貢献の精神を持つ父親の影響を
強く受けているようだ。
オスマン・サンコンは
6.0だった視力が急降下!?
最後に、オスマン・サンコンの視力の噂
について調査しよう!
アフリカに住んでいると、野生動物など
遠くにいるものを見極める力が必要だから
自然と視力が良くなるという話は
広く知られている。
その噂通り、オスマン・サンコンは、
当時視力が6.0あった事で有名だった。
しかし、長年の日本生活で
一気に視力が低下。
現在では1.2にまで落ちてしまった
そうなのだ!
しかし、そもそも現代のアフリカでは
都市部だと視力1.0が普通というから、
科学技術の進歩で驚異的な視力は
都市伝説と化したのかもしれない。
ちなみに、息子であるオスマン・ヨンコン
はハーフとはいえ日本生まれ日本育ち。
現在の視力は0.4で乱視だという情報も。
視力は血筋より環境が重要という事
が証明された。
まとめ
今回は、オスマン・サンコンにまつわる
様々な噂を調査した!
当時は天然ボケのキャラで、失礼ながら
何も考えていないような印象があった
が、実はエリートで福祉事業にも
積極的に参加する人格者だった
事が判明した。
そもそも外交官だった事すら知らない方
も多いのではないだろうか?
しかし、本当に社会貢献している人は、
無理にアピールしなくても評価される。
見られている人には
見られているのだなぁと改めて感じる。
miya
<参考サイト>
Wikipedia
サンコンシステムズ
Yahoo!JAPANニュース