与謝野馨氏の経歴がスゴイ!都議選へ思惑復党も病状悪く!【訃報】

与謝野馨氏(78)の訃報が入りました。

都議選への思惑か、自民党に復党するも
病状が良くなく、24日までに亡くなって
いたそうです。

政界での経歴は長く、テレビ等で
私達にもお馴染みのお顔です。

ガンでは死なない男として著書を発表し
ひと時、話題にもなっていました。

 

 

与謝野馨氏【訃報】その経歴は!?

 


衆議院議員・与謝野馨氏の訃報です。

5月24日までに亡くなられており、
78歳でした。

病状の報道はありませんでしたね。
それとも私だけ知らなかったのか?

その政治家としての経歴は、
途轍もなく、長く、波乱万丈で、
政治の中心に居続けた、
稀有で偉大な政治家の一人でしょう。

7月に控えている都議選への思惑か、
4月30日に自民党に復党した矢先の
出来事ですが、
病状は良くなかったのでしょうか?

与謝野馨氏の訃報を受け、自民党内も
慌ただしくしている事でしょう。

今回、都議選へ思惑で復党していた
とされる与謝野馨氏の経歴を
簡単に振り返ります。

与謝野馨氏の経歴(略式)


与謝野馨氏は、
歌人である与謝野鉄幹・晶子夫妻の孫で
1938年8月22日生まれ。

与謝野馨氏の父親は外交官だったため、
生後すぐに北京に住み、4歳で帰国。

父親はベルリン日本大使館に勤務する
ほどの人物であったが、
日本に残っていた家族は貧しい生活を
していたそうで、大戦末期には、
東京大空襲も経験しています。

学歴は、麻布小学校から麻布中学校、
途中、カイロ郊外・ヘリオポリスの
イングリッシュスクールに編入学。

英国オックスフォード大学の入試に
合格(一次試験)するが、帰国し、
麻布高校へ編入しています。

超がつくほどの優等生だったそうです。

全学連世代でしたが、学生運動には
一切関わらなかったとあります。

1963年、東大を卒業し、
日本原子力発電に入社します。

この時の紹介者は、あの中曽根康弘氏
だったそうで、与謝野馨氏の母親の
知人だったとあります。

そこでは原子力の専門家・通訳として、
世界各国を歴訪もしています。

政界での経歴と活躍


そして与謝野馨氏は、
政界へ入るべく1968年、
中曽根康弘氏の秘書になります。

ここから政治家としての
長い長い経歴がスタートします。

1972年、初めての出馬である
第33回衆議院議員総選挙に落選。

1976年、
第34回衆議院議員総選挙で初当選。

その後も、1979年に落選するも翌年、
トップ当選で返り咲きと、
波乱に満ちた政治人生の経歴の
プロローグだったようです。

科学技術・通商産業関係、
通商産業政務次官、自民党商工部会長、
衆議院商工委員長などを歴任し、
商工族、政策通として広くその名を
轟かせる事になります。

与謝野馨氏は中曽根派でしたが、
竹下派の梶山静六氏に重用され、
その経歴に拍車が掛かります。

1994年、
村山内閣で文部大臣として初入閣。

1996年、
第2次橋本内閣では内閣官房副長官。

1998年、
小渕内閣で通産大臣。
この時、「盗聴法成立の黒幕」と
大バッシングされています。

2000年第42回衆議院議員総選挙では
まさかの落選。

この時の落選について小泉純一郎氏は
「落選していなければ自分ではなく
与謝野さんが総理になっていただろう」
と後に発言しています。

2003年、比例復活で復帰し2004年、
郵政民営化では欄の渦中にあった
自民党で政調会長に就任。

2005年、
第3次小泉内閣で内閣府特命担当大臣に
就任し、金融、経済財政政策担当として
手腕を奮っています。

2006年、
安倍内閣で自民党税制調査会会長に
就任するも、直後に咽頭ガンが発覚し
辞任、病状も悪く、入院して
療養生活を送ります。

経歴にピリオドかと思われましたが、
2007年、
第1次安倍改造内閣で官房長官に就任。

その後、安倍氏が体調不良で辞任、
入院した際には、与謝野馨氏が事実上
官邸を仕切り、
「与謝野官邸」と呼ばれました。

2008年、
福田内閣改造では内閣府特命担当大臣
に就任し、経済財政政策、規制改革担当
として尽力。

福田首相の辞任にあたり、初めて
自民党総裁選挙に出馬しました。

そして麻生太郎内閣では
経済財政政策担当相に再任、財務大臣、
金融担当大臣を兼任しています。

テレビ等でとても馴染みの方ですが
日本の政治の中枢での凄まじい
経歴には驚きを隠せませんね。

まさに、偉人でしょう。

 

 

与謝野馨氏の経歴、迷走、引退

 


ここからは、野党、新党、民主党の
迷走時代の経歴を追ってみます。

与謝野馨氏の野党時代の経歴
としては、衆議院予算委員会に
所属していた事が大きいですね。

2010年当時の鳩山由紀夫首相の
偽装献金問題を厳しく追及し、
「平成の脱税王」と呼んでいました。

そしてその後、ナント!?
2010年4月号の文藝春秋の記事で
自民党執行部を批判し、離党します。

与謝野馨氏は、
自身らの離党は自民党分裂ではないとし
「反民主・非自民を貫く」と掲げ、
新党『たちあがれ日本』を結党し、
本人の思惑とは裏腹に
自民党からは除名処分を受けました。

与謝野馨氏の経歴の中では、
とても大きな出来事ですが、
忘れている方も多いようですね。

そして2010年、
『たちあがれ日本』を離党し
翌年、菅再改造内閣では、
内閣府特命担当大臣(経済財政政策、
男女共同参画、少子化対策)に就任。

社会保障と税の一体改革担当大臣も
兼務しました。

この民主党政権への参加は、
与謝野馨氏の過去の発言と大きく矛盾
していたため、強く批判されました。

そして2011年には無所属となり、
与謝野馨氏の政界での迷走は終焉。

2012年咽頭ガンの修復手術を受け、
その影響から発生が出来なくなり
引退を表明します。

2013年、
「多年にわたり国会議員として
議案審議の重責を果たすとともに、
内閣府特命担当大臣等として
国政の枢機に参画した」功労により、
旭日大綬章を受章されています。

与謝野馨氏の政治家としての経歴は、
まるで、映画にもなりそうな、
長く凄絶なストーリーですね。

都議選へ思惑復党も病状悪く


2013年、与謝野馨氏は、
気管食道シャント法と呼ばれる手術を
受けて、声を取り戻しました。

そして2017年4月30日、
自民党の党紀委員会から与謝野馨氏の
近年の同党への貢献が評価され、
復党が了承されました。

除名処分された議員が復党する事は
大変異例な事で、綿貫民輔氏以来、
2例目なのだそうです。

しかし、一ヶ月も経たずに、
今回の訃報を受ける事になりました。

自民党はやはり、与謝野馨氏の手腕を
高く評価していたのでしょう。

7月に控える都議選への思惑もあり?
今回の復党の流れになったという
記事が多く、これが大勢でしょうか。

今回の都議選は、日本中が
注目するほど重要ですからね。

命尽きるまで、日本の政治に
その身を焦がし続けた与謝野馨氏に
感謝の気持ちと共に、
ご冥福をお祈りします。


<参考>
headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20170524-00000056-nnn-pol
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E9%A6%A8
www.news24.jp/articles/2017/05/01/04360350.html?utm_source=Yahoonews&utm_medium=relatedarticles&utm_content=362366&utm_campaign=n24_acquisition

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