赤ヘル軍団と恐れられた広島カープ!赤ヘル旋風も最近は言わないな?

広島カープと言えば、2016年9月10日に
25年ぶりの優勝を果たしたことで
話題になりましたね。

広島での瞬間最高視聴率は、
71%を叩き出すなど、広島カープ
ファンはお茶の間で沸きに沸いたこと
でしょう。

そんな広島カープですが、
かつては赤ヘル軍団と称されていて、
無敵の集団と恐れられていました。

今回は、赤ヘル軍団時代のカープと
現在のカープについて
まとめていきます。

 

 

無敵の広島カープ!赤ヘル軍団のルーツとは?

 


2016年9月10日にセントラル・リーグで
25年ぶりに優勝を果たした広島カープ。

今回の優勝の前には、
1991年までで6回のリーグ優勝を
しています。

「カープ女子」と呼ばれる、
広島カープのファンの女性たちも
話題となり、メディアでも取り上げ
られていましたね。

そんな流れもあり、広島カープの優勝を
多くのファンが今か今かと待ち焦がれて
いました。

25年の時を経て、今回広島カープが
やっとの思いで念願のリーグ優勝を
果たしましたが、
広島カープはかつて、
赤ヘル軍団と呼ばれる常勝集団でした。

「赤ヘル」とは、ヘルメットや
ユニフォームなど、広島カープの
チームカラーである「赤」から
名付けられたようです。

しかし、広島カープ発足当初は、
チームカラーは赤ではなく「紺」だった
ようです。

これは、広島カープの筆頭株主だった
東洋工業(現在はマツダ)の
イメージカラーが紺だったことに
由来しているそうです。

かつてのチームカラーの名残として、
現在でも球団旗は紺を基調とした
デザインとなっています。

さて、そんな広島カープの
チームカラーチェンジですが、
三年連続で広島カープが最下位に
なってしまったことがきっかけで
行われたようです。

なぜ、「赤ヘル」にしたのかと
言いますと、どうやら燃える闘志を
イメージさせる色だったからの
ようですね。

このチームカラー「赤」の採用を
きっかけに広島カープは赤ヘル軍団
として、快進撃を続けていくことに
なります。

最近ではあまり聞かなくなりましたが、
赤ヘル旋風という言葉もありますね。

これはどうやら、破竹の勢いで連勝を
続ける広島カープの様子を表した言葉
のようです。

第一次赤ヘル旋風はチーム発足以降、
初めてのリーグ優勝の
時を指しています。

第二次赤ヘル旋風は昭和54・55と
2年連続で王者に輝いた時の広島カープ
を象徴しているようです。

それまでは、巨人や阪神などの
いわゆる2強の帽子を被るキッズで
溢れかえっていたようですが、
この赤ヘル旋風を機に「赤ヘル」を
被る子供も増えたようです。

 

 

かつての赤ヘル軍団と今の広島カープの違いは?

 


かつては赤ヘル軍団と称えられた
無敵集団の広島カープと
25年ぶりに覇者となった
現在の広島カープとではどのような
違いがあるのでしょう。

以前、赤ヘル軍団時代の広島カープOBが
取材で、当時と今の広島カープを
比較されていました。

簡単にまとめますと、
投手や野手など守備の面では、
当時の赤ヘル軍団時代の方が上である。

一方、打者・打線と言った攻撃の面では
今の広島カープの方が強いのでは
ないのかと指摘されていました。

また1991年当時、
本拠地は初代広島市民球場でしたが、
普段はあまり観客が入っていなかった
ようです。

これは人気がなかったということでは
なく、
赤ヘル軍団と呼ばれていた広島カープは
勝手当たり前だと思われていたからだと
分析されています。

そのため、マジックナンバーが
10を切ると球場も満員になり始めたと
いいます。

そんな当時の赤ヘル軍団と
現在の広島カープですが、
ファンの情熱は不変のようです。

チームや選手の成績が優れない時は、
罵声やヤジが飛ぶのは当たり前と
言われています。

しかし、こういった手厳しい応援は
それだけ真剣に広島カープを支えている
ファンの気持ちの裏返しと
言えるでしょう。

また、当時の赤ヘル軍団と
今の広島カープとを比較する上で
欠かせないのが、「カープ女子」の
存在です。

若い女性のファンが増えたことにより、
球場に足を運ぶ客層も徐々に
変化し始めています。

幅広いファン層に支えられている
広島カープ。

新たな赤ヘル旋風は巻き起こるの
でしょうか。

今後の広島カープの躍進が
期待されます。

mick

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