田原俊彦とジャニーズ事務所の確執!退社経緯と共演NGが続く理由がヤバい!?

1980年代のジャニーズ事務所を支えたトップスターの一人、田原俊彦さん

しかしながらその栄光は、ジャニーズ事務所を退社した後から薄れていきました。

退社に至った経緯は、ジャニーズ事務所との確執があったからでは?とも言われていますが、実際はどうなのでしょうか。

また、ジャニーズ事務所退社、そして独立に当たって、ジャニーズ事務所のタレントとの共演がNGになっているとも言われています。

今回はその理由も調べてみました。

 

 田原俊彦とジャニーズ事務所の確執!

 

歌にお芝居にと、輝かしい功績がある田原俊彦さん。

それだけにジャニーズ事務所との確執はどのようなものであったか気になりますよね。

また、人気に陰りが見え始めたきっかけは何だったのでしょうか。

当時を振り返りながら見ていく事にしましょう。

 

 田原俊彦とジャニーズ事務所の確執!

 

ジャニーズ事務所に所属していた頃の田原俊彦さんは、近藤真彦さんも頭を下げる事があるほど絶対的な存在だったといいます。

しかしながら、1994年3月1日、個人事務所「DOUBLE "T" PROJECT」を設立し、ジャニーズ事務所から独立しました。

ジャニーズ事務所との確執があったのでは?との憶測が聞かれますが、その真相は女優の中山美穂さんだったとか。

なぜなら田原俊彦さんは1991年に中山美穂さんと交際していたという事なのです。

当時、田原俊彦さんは30歳。

歌手としても俳優としても正に全盛期だった頃でした。

また、中山美穂さんは21歳という若さでしたが、同じく歌手と女優を両立されていて、CM等にも多く出演しているトップアイドルでした。

今でこそジャニーズ事務所所属のアイドルの結婚は、本人に任されているような風潮がありますが、恋愛に関してはAKBも「禁止」としているように、ジャニーズ事務所でも慎重にしているはずです。

当時はもっと厳しかった事でしょう。

そんな中、お二人は極秘で交際をしていたとの事で、何とハワイ旅行に行った事もあるようなのです。

この事はジャニーズ事務所にも伝えていなかったそうで、ジャニーさんも相当ご立腹だったそうです。

ジャニーズ事務所との確執は、このような事から噂されるようになったようですね。

 

 田原俊彦の人気が停滞した理由!

 

田原俊彦さんの人気が停滞され続けたのは「僕はビッグ」発言が原因だという事は有名な話です。

どんなものだったかというと、94年の田原俊彦さんの長女誕生後の記者会見で

「何事(結婚・出産)も隠密にやりたかったんだけど、僕くらいビッグになっちゃうとそうはいきませんけどもね」

と発言。

その部分だけが取り出さされ、「傲慢だ」とバッシングされました。

 

田原俊彦さんのイメージは急落し、ジャニーズ時代に年間20本以上あったコンサートは独立翌年には東京・大阪・名古屋の3か所に絞られました。

ライブ集客の減少は、ジャニーズ事務所独立とマスコミのバッシングが原因と考えられています。

 

しかしながら、それだけが理由とは言い切れない事実がありました。

それは、ファン層の一群を形成する1960年代後半生まれの女性が子育てに奔走していた時期とも重なるからというものです。

2010年代に入ってから、田原俊彦さんのライブ本数は増え、会場のキャパシティも広くなりました。

東京開催は2000年代Zeep Tokyo(椅子使用1200人収容)でしたが、2011年以降中野サンプラザ(2222名収容)になり、規模が大きくなっています。

実際にファンに話を聞くと、子育てを終えて再びライブに足を運ぶようになったケースも頻繁にあるようなのです。

 

たしかに、子供が小さかったらなかなかライブ会場へも足を運べないですもんね。

 

 田原俊彦の退社経緯と共演NGが続く理由がヤバい!?

 

田原俊彦さんがジャニーズ事務所を退社した経緯については、自身の出版した自伝の中で触れられていました。

それは当時のジャニーズ事務所の状況も考えての事だったようなのです。

また、退社後にはジャニーズ事務所所属タレントとの共演NGが続いているようなのですが、その理由についても調べてみました。

 

 田原俊彦の退社経緯とは?

 

田原俊彦さんは退社をして独立した理由について、自伝『職業=田原俊彦』の中で、

「僕は基本的にジャニーズ事務所はティーンエイジャーのための会社であるべきだと、思っている」

と述べています。

また、

「もし、僕があのまま事務所に残った場合、どうなっていただろうと考えることがある。

現役を引退して後輩を指導したり、管理職的な立場になったりということもあるかもしれないが、そういう考えにはなれなかったのだ。」

ともしています。

 

たしかに、ジャニーズ事務所では創業当初から1990年代くらいまで、30歳を超えたタレントはほとんど存在していませんでした。

田原俊彦さんの言うように、当時のジャニーズ事務所は10代、20代前半の男性が中心だったのです。

ジャニーズ事務所との確執が原因で退社をしているようにも思えましたが、当時の状況を考えると、田原俊彦さんの退社、そして独立は自然な選択だったようにも思えてきますよね。

 

 田原俊彦の共演NGが続く理由がヤバい!?

 

田原俊彦さんとジャニーズ事務所のタレントは、1995年4月16日放送の『ヤンヤン歌うスタジオ同窓会スペシャル』で近藤真彦さんと別撮りという形で一緒に出演して以来、一切共演がなくなりました。

共演を意図的に避けているように見受けられたエピソードもありました。

当時田原俊彦さんがレギュラーを務めていた『笑っていいとも!』の95年放送『クリスマス特大号』で、田原俊彦さんがディナーショーの中継先からクイズを出していた時の事。

偶然かも知れませんが、そこに同じくレギュラー出演していた当時SMAP中居正広さん香取慎吾さん草なぎ剛さんの3人が、前の仕事のため遅れていたのですが、スタジオに到着すると、なぜかクイズコーナーが終了したのです。

結局この日、田原俊彦さんとの接触はありませんでした。

 

先程も触れましたが、田原俊彦さんが長年干され続けたのは「僕はビッグ」発言が原因だとされていました。

しかしながら、実際はそうではなかったと、2011年10月『爆報!THE フライデー』(TBS系)が検証していました。

会見のVTRを全て見ると田原俊彦さんは記者の質問に丁寧に答えていて、傲慢と言えるほどではありませんでした。

つまり、会見映像は「ビッグ」発言だけを抜き出して、強調するかのように繰り返し放映されてきたのです。

しかし、「ビッグ」発言はきっかけであって、干された直接の原因はやはり独立問題にあるのでは?といった意見もあります。

1993年に田原俊彦さんが独立を企てた際、事務所はコンサートツアーを中止にするなどの措置をし、田原俊彦さんは事務所の後ろ盾を失う事になりました。

そこへ、あの「ビッグ」発言があったので、もともと少し生意気だった田原俊彦さんを叩こうとしていたメディアは、これはチャンスとばかりにバッシングしたというのです。

独立後は、テレビ局側がジャニーズ事務所に気を使い田原俊彦さんと、ジャニーズ事務所のタレントを共演させる事はなくなったという事なのです。

今年3月、田原俊彦さんのもとにジャニーズ事務所のメリー氏から手紙が届いたそうです。そこには芸能生活40周年を迎えた田原俊彦さんに対する祝福の言葉と、ジャニーズ時代の写真に対する使用許可を伝える内容が綴られていたのだといいます。

田原俊彦さんのジャニーズ事務所のタレントとの共演NGの理由は、テレビ局側の忖度であって、もう当事者同士の確執は解消されているようですね。

 

 まとめ

 

ジャニーズ事務所の栄光の一時代を築き上げた田原俊彦さんですが、ジャニーズ事務所の退社と共にその人気は低迷していました。

そもそも退社に至ったのは、中山美穂さんとの隠れた交際がジャニーズ事務所との確執に繋がったせいなのではとされています。

また、「僕はビッグ」発言で世間からバッシングを浴びた事や、当時子育て真っ只中の年齢層のファンが多かった事も人気低迷の原因と考えられています。

ジャニーズ事務所のタレントとの共演がNGともされていますが、それはテレビ局による忖度であって、田原俊彦さんとジャニーズ事務所の間の蟠りは無くなっているようでした。

今後は、ジャニーズ事務所のタレントとの共演も出てくるかもしれないですよね!

楽しみにしていましょう。

 

参考サイト

NEWSポストセブン

週刊女性

Wikipedia

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