宇梶剛士ブラックエンペラー伝説に氷室京介も登場!

皆さんはブラックエンペラーをご存知でしょうか。

1960年代から結成された暴走族の事です。

そのブラックエンペラーには宇梶剛士さんの数々の伝説が存在するというのです。

その伝説とは一体どの様なものなのでしょうか。

また、その伝説に氷室京介さんも登場するというウワサもあるのです。

その真偽についても調べてみました。

 

宇梶剛士ブラックエンペラー伝説に氷室京介も登場!?

 

宇梶剛士さんのブラックエンペラー伝説には、氷室京介さんも登場するというウワサがありました。

その真偽について見ていきたいと思います。

 

宇梶剛士ブラックエンペラー伝説に氷室京介も登場!

 

氷室京介さんは、高校時代にブラックエンペラー群馬支部に所属していました。

しかしながら大きな組織の中の一人という状況が性に合わず、すぐに辞めてしまったそうです。

ですので、宇梶剛士さんのブラックエンペラー伝説に登場しているという情報はみつかりませんでした。

 

それでも中学校時代から喧嘩をよくしていて、バイクも乗りまわしていたのだそう。

上級生に目を付けられて、校舎の裏に呼び出された事があったのですが、それを返り討ちにした経験から喧嘩に目覚めてしまったといいます。

このような背景から、週刊誌には「人の命を奪った事がある」とまで書かれた事があるようですが、そのような事実はないようです。

ビックリしましたが、事実ではなくて安心しました・・・。

 

また、ラジオ番組の中で氷室京介さんについて「音楽をやっていなかったら、ヤクザになっていた」とBOØWYのマネージャーが語っていたそうです。

確かに喧嘩っ早い性格が根本にはあるのですが、音楽の道に進んでくれて本当によかったですよね。

様々な経験をされてきたからこそ、氷室京介さんの作り出す音楽には深みが出るのかも知れませんね。

 

宇梶剛士ブラックエンペラー伝説とは?

 

宇梶剛士さんといえば、俳優として様々な役柄をこなしており、バラエティ番組でも度々登場しています。

そんな宇梶剛士さん、ブラックエンペラーに所属していた過去がありました。

長身で強面の宇梶剛士さん、そのブラックエンペラーでものすごい伝説を残していたのです。

ここでは、その宇梶剛士さんの語り継がれる伝説についてご紹介していきます。

また、壮絶な少年時代を送ってきた宇梶剛士さんですが、現在はすっかり落ち着いているのでしょうか。

詳しく調べてみました。

 

宇梶剛士ブラックエンペラー伝説とは?

 

日本最大とも言われた暴走族集団ブラックエンペラーですが、そのトップに宇梶剛士さんが立っていた事があるというのです。

そのきっかけとなったのは、ブラックエンペラーの本部に宇梶剛士さんが乗り込んだ事。

当時のトップは6代目の蛯沢賢治さんで、宇梶剛士さんはその地位を狙っていたのだといいます。

そのまま総長の座を奪う事はできませんでしたが、宇梶剛士さんの名は関東で広まり、結果的にブラックエンペラー7代目の総長に就任しています。

 

ここから本格的に宇梶剛士さんのブラックエンペラー伝説が始まります。

 

宇梶剛士さんがブラックエンペラーの総長として300人ものメンバーを率いて湘南までバイクを飛ばしていた時の事でした。

地元湘南の暴走族1,000人程がちょうど集会をしていたようで、その場に出くわしてしまったのです。

その規模に怖気づいてしまったメンバーは、宇梶剛士さんを残して全員が逃げ出しました。

残った宇梶剛士さんは、一人で先頭に位置していた約20人を打ちのめしたというのです!

一人きりでも立ち向かうなんて、勇気がありますよね。

余程自分に自信とプライドがあったのでしょう。

その様子に、残りの敵対勢力は戦意を失って、その場を後にしたという事です。

正に、1対1,000の戦いに勝利した伝説と言えるでしょう。

 

また、日本刀で切りつけられた事もあるようです。

宇梶剛士さんは、当時敵対関係にあったグループの総長から休戦の話しを持ちかけられており、話し合いの場に向かったといいます。

総長同士の話し合いをする予定だったのですが、相手のメンバーの一人が突然宇梶剛士さんの背中を日本刀で切りつけたというのです!

恐ろしすぎて、映画の中の話の様ですよね。

切りつけられて背中を負傷した宇梶剛士さんに、更に他のメンバーも襲い掛かり、重傷を負ってしまいました。

何とも卑怯なやり方ですよね・・・。

宇梶剛士さんは復讐を試みましたが、組織としてこれ以上争うと死人が出兼ねないと判断したため、相手グループからの謝罪を受けて騒動は終焉を迎えたとの事です。

 

このような伝説を残している事から、宇梶剛士さんは当時から大変有名で、同じく元暴走族のヒロミさんも「とんでもなく有名だった人」との認識があるようです。

 

宇梶剛士は高校時代少年院に入っていた?

 

様々なブラックエンペラー伝説を繰り広げてきた宇梶剛士さんですが、少年院に入った事もあるようなんです。

 

1962年東京都新宿で生まれた宇梶剛士さん。

その後転居を重ね、

国立市立国立第七小学校

国立市立国立第一中学校

を卒業しています。

高校は、

拓殖大学第一高等学校

に進学し、野球部に入部しました。

188センチという恵まれた体格だった事もあり、将来を期待されてプロ球団のスカウトも来た事があるのだとか。

しかしながら、その野球部の上下関係が本当に厳しかったようなんです。

今でこそ、運動部の活動については世の中から厳しい目が向けられていますが、当時はまだその辺りは緩い時代。

理不尽な事も多くあり、その事を学校側にも訴えたようですが相手にされず、高校2年生の時、遂に宇梶剛士さんは先輩部員に対して武力行為に出てしまいました。

これにより野球部は1年間の試合出場停止の処分を科せられ、宇梶剛士さんは少年院に入る事になってしまったというのです。

 

出所後には高校を中退し、叔父のいる北海道で生活をしていますが更生には至らず。

結局暴走族の道に進む事になってしまったのです。

 

野球部での壮絶ないじめから、人生の歯車が狂い始めてしまったという事なんですね。

 

宇梶剛士さんの現在とは?

 

宇梶剛士さんは、現在俳優として大活躍されています。

更生したきっかけになったのは、少年院の中でチャップリンの伝記を読んだ事だったといいます。

宇梶剛士さんは、意外にもチャップリンに影響されていたんですね。

それから俳優を志し、錦野旦さんの付き人を務めたのです。

当時18歳の時でした。

その時出会ったのが菅原文太さん

菅原文太さんは、俳優になりたがっていた宇梶剛士さんを自分の付き人とし、自分の元で俳優として育て上げたのです。

 

宇梶剛士さんはその後、舞台『青森県のせむし男』でデビューし、今では数多くのテレビドラマや映画で活躍されています。

 

俳優として成功を収めた宇梶剛士さんですが、そのお祝いとして、かつてのブラックエンペラーから大工になった元メンバーから新築一戸建てをプレゼントしてもらったそうです。

過去には様々な事件がありましたが、今ではとっても素敵な仲間ですよね!

 

俳優だけでなく、CM出演や自叙伝の出版もされています。

CMはコミカルなものが多く、元ブラックエンペラーの総長だったなんて考えられません!

今では結婚もし、子供も二人いるようです。

 

かつては少年院にいた事もある宇梶剛士さん。

どんな人生もやり直しがきくものだという事を、宇梶剛士さんの人生は教えてくれている気がします。

 

まとめ

 

日本最大級の暴走族ブラックエンペラーの総長まで務め宇梶剛士さん。

そこでの伝説は、暴走族の間では知らない人はいないほどスゴイものでした。

氷室京介さんも、その伝説に登場しているとのウワサもありましたが、氷室京介さんがブラックエンペラーに所属していたのはごく短期間のようで、伝説に登場する事はありませんでした。

かつては少年院にも入った事があり、周囲に恐れられていた宇梶剛士さんですが、今は家庭も持ち、俳優として成功されています。

過去の壮絶な経験により人の痛みも身を持ってわかり、今の俳優としての演技の幅を広げる事に繋がっているのかも知れないですね。

 

参考サイト

Wikipedia

テレビ東京 HP

週刊女性

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