阿久悠の死因!?家族や息子の話!遺産はどうなった?

昭和世代にテレビで流れる曲には大抵
「作詞・阿久悠」と映っていたものだ。

阿久悠さんは、生涯で5000曲を超える
作詞をしており、筆者は、
ピンクレディーの曲を阿久悠さんが
書いていたのが印象的だ。

2007年に他界した阿久悠さんの死因の
再確認や、家族や息子さんの話題にも
触れて阿久悠さんの莫大とも言われる
遺産がどうなったのか?など、
今回は阿久悠さんについて見ていく。
(以下、敬称略)
 

 

阿久悠の死因!?

 


阿久悠は、2017年現在から10年前に
他界しているが改めて死因を見ていく。

2001年9月に腎臓ガンが発見され、
ガンの摘出手術を受け、ガン治療を
しながら仕事を続けていた。

しかし、2007年7月に再入院をして
1ヶ月後の8月1日に他界した。

阿久悠の死因は「尿道ガン」だった。

尿道ガンは、40〜70歳に発症しやすく
阿久悠は当時69歳で発症年齢内に
当てはまっている。

女性よりも男性が発症率が高い。

尿道ガンには、血尿や排尿障害等の
兆候が表れやすいようだが阿久悠は
入院後、1ヶ月で他界しているので
何らか身体に異変があったかも
しれない。

阿久悠はヘビースモーカーだったらしく
ガンの死因の原因では?とも
言われている。

2007年は阿久悠にとって作詞家人生の
40周年という一区切りの年で
残念な結果を迎えてしまった。

40年という長い年月を作詞家に
費やしてきたとは見事としか
言いようがない。

70歳という若さだったため、
テレビ業界・一般人大勢が阿久悠の
他界を驚くとともに悲しんだ。

約6年間ガン治療と闘いながらも
作詞家などの仕事を続けていたので
転移を恐れて不安な人生では
なかっただろうか?

阿久悠の死因は、腎臓ガンを
患ってからの尿道ガンである。

家族や息子と遺産の話!

 


阿久悠の家族や息子の話題に
触れていく。

阿久悠は、1959年明治大学文学部を
卒業して広告代理店「宣弘社
(せんこうしゃ)」に入社している。

5年後の1964年阿久悠が27歳のとき
同じ宣弘社に勤めていた「雄子」という
名前の女性と結婚して家族となった。

要するに職場結婚ということになる。

交際期間は明かされていなかった。

嫁・雄子は寿退社をしなかったようで
夫婦で同じ職場で勤務していたようだ。

結婚して2年後1966年に阿久悠は
宣弘社を退職してしまった。

阿久悠は、作詞家や放送作家の勤務に
就きたかったようだ。

嫁・雄子は安定した職場を辞めて
夢を追うような阿久悠に対して
とても理解があったと言える。

家族を養えるか生活の心配がある夫の
阿久悠についていく決心は夫婦間の
強い信頼関係だと思う。

結婚して2年で夫の先の見えない転職は
筆者だったら反対するだろう。

しかし、阿久悠は作詞家や小説家として
大活躍をして有名人になったので
嫁・雄子が一番のファンで
喜んでいたのではないだろうか?

阿久悠も退職に賛成してくれた
嫁・雄子には感謝しただろう。

その為、嫁・雄子の為に有名になる位
頑張れたのかもしれない。

家族や夫婦の絆の深さを感じた。

阿久悠と嫁・雄子には
もう1人家族がいる。

一人息子で名前は、深田太郎という。

息子・太郎は計算すると
現在50代前半だと思われる。

息子・太郎が結婚しているのかは
不明だった。

早稲田大学を卒業しており、父親の
阿久悠同様音楽の道に進み作曲家を
したり、ミュージシャンとしても
活躍している。

作曲家として椎名へきるや坂井真紀に
曲を作ったり、父親の阿久悠と
共に亡き本田美奈子にも曲を
作っている。

息子・太郎が作曲家で父親の阿久悠が
作詞家で音楽関係の才能があるのは
やはり血筋だろうか?

親子で作詞作曲ができるとは想像すると
家の中が音楽で溢れていて楽しそうに
感じる。

阿久悠は、嫁・雄子と息子・太郎の
3人家族である。

 

 

遺産はどうなった?


阿久悠には、莫大な遺産があるというが
実際のところを見ていく。

阿久悠が作詞した曲にはヒット曲が
極めて多数存在する。

レコードやCDの総売上枚数は
7000万枚近いと言われている。

1枚500円のレコードとして電卓で
計算したらエラーになり
計算不可能な売上金らしい。

歌詞印税で年間数億円が収入だった。

多数のヒット曲を書いていた阿久悠の
実力とも言える。

当然だが、高額納税者番付には
毎回、阿久悠の名前が出てくる。

億円以上の収入だと納税額も桁が
違うと思われる。

推定だが2004年2億3100万円、
2005年1億9000万円の収入が
あったようだ。

これらが莫大な遺産があるのでは?
とされる根拠であろう。

阿久悠の自宅は静岡で、都内に
仕事用のマンションがある。

不動産の資産も合わせると
総額の遺産は、100億円を
超えているとまで言われている。

全く想像できない金額だが、
阿久悠が、いかに作詞家として
素晴らしい歌詞を書いていたのかが
わかる。

余談だが、Wikipediaの阿久悠を
覗いたら主な楽曲提供者の歌手の
ページが限りなく続いていて驚いた。

話を戻すが、100億円の遺産を
相続した家族は、阿久悠の嫁・雄子と
息子・太郎と嫁・雄子たち
家族全員のようだ。

遺産相続税も巨額であったと
推察される。

阿久悠は、70歳にして尿道ガンが
死因で他界してしまったが、現在も
作詞家活動をしていたら、
遺産額が増え続けていただろう。

まとめ

 


阿久悠が他界して、もう10年経過とは
早いもんだ。

しかし、阿久悠が作詞した曲は今後も
ずっと歌い続けていくことだろう。

阿久悠という名前は「悪友(あくゆう)」
から付けたと分かり笑ってしまった。

さすがに作詞家らしい名前の
付け方だ。

阿久悠は、多数の賞を獲得しているが
他界後も賞を受賞していて世間に
認められていたことが実証されている。

<参考>
//myfavoritetopics.net/archives/1757
//clippy.red/entertainment20170731-1/
//saisin-news.com/akuyuu-siinn/
//www.asyura2.com/07/news5/msg/577.html
//migerutrend.com/1532.html
//ja.m.wikipedia.org/wiki/阿久悠

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