芸能界の大御所の一人と言われている
泉ピン子の実家は、東京の銀座にあった
和光の時計塔の裏の小料理屋だった。
浪曲師の父親と母親の影響で
歌が好きになった彼女は、中学時代に
のど自慢で優勝した事により、
芸能界入りを勧められる。
因みに若い頃は壇蜜に似ているとの声が
ネット上のつぶやきと画像により
明らかになっている。
泉ピン子は銀座の実家で浪曲師の父親と再婚の母親に影響を受けて芸能界へ!
ドラマ「渡る世間で鬼ばかり」の出演で
有名な芸能外の大御所の一人、
泉ピン子は1947年9月11日に
東京都中央区銀座の和光の時計台裏の
小料理屋に生まれた。
和光の時計台といえば銀座の
シンボル的存在として知られ、彼女の
実家は花のお江戸のど真ん中だった。
彼女の実家の父親は浪曲師の
江口鉱三郎で
母親は彼女が2歳の時に亡くなった。
その後父親は同じ浪曲師の三門お染と
再婚し、三門お染が彼女の育ての母親と
なる。
銀座の実家で父親と母親の影響を受けて
歌好きの少女として育った泉ピン子は、
中学1年生の時にのど自慢に出場して
優勝を勝ち取る。
その事がきっかけで浪曲師の父親から
芸能界に入る様勧められ、中学3年時に
北島三郎といったプロ歌手の前座として
ステージに立った。
他のスター達の芸能界入りにまつわる
エピソードには、父親と母親が反対して
苦労したり、また高いハードルの条件を
提示したりするケースが多い中にあって
実家の両親が背中を押すケースは珍しい
といえる。
歌の才能と理解ある実家の両親という、
芸能界で生きていく好条件が揃っていた
とも思われたが、泉ピン子自身は
スターになれる容貌ではないと感じ、
また銀座の実家の小料理屋で
働く事になる。
しかし芸能界の関係者からのスカウトで
芸能界入りした彼女は、牧伸二に師事し
歌謡漫談家としてデビューするも
キャバレーを回る日々が続く等、
銀座の実家の父親と母親が浪曲師という
家庭に生まれながらも
皮肉な運命をたどる。
泉ピン子は、芸人として
日本テレビの「底ぬけ脱線ゲーム」への
出演もしたが、ブレイクしないまま10年
が経とうとしていた27歳の時、
同テレビ局の
「テレビ三面記事 ウィークエンダー」
に抜擢され、名物リポーターとして
ブレイクした。
浪曲師の父親と育ての母親の元で育ち、
歌が好きで入った筈の芸能界であったが
ここでも皮肉な事に泉ピン子が
銀座の浪曲師の実家で抱いた夢とは
かけ離れた成功を手に入れた。
その後泉ピン子は本来の夢であった
歌手、そして女優にも活動の幅を
拡げていく事になる。
泉ピン子の若い頃の画像が壇蜜そっくり?芸能界の先輩として上戸彩に見せた母親の様な愛情!
泉ピン子がネット上でつぶやかれている
事に、泉ピン子が若い頃に出演した
NHK連続テレビ小説「おしん」の時の
画像が壇蜜そっくりという物がある。
彼女の若い頃といってもこの画像の時で
30代であるが、近年の壇蜜と比べてみて
も確かに全体のバランスの違いはある
ものの確かにそっくりである。
また若い頃に歌手としてレコードを
出した際のジャケットの上目遣いの画像
も本当に瓜二つである。
またイメージの違いも言われる事が
あるが、これは、壇蜜がおっとりとした
キャラクターであるのに対し、
泉ピン子はフジテレビ「ペケ×ポン」の
出演時に上田晋也の代役で出演した彼の
兄、上田啓介に対して数々の暴言を
浴びせる等、みんなを震え上がらせた事
があったのも一因と思われる。
また彼女の事で忘れてはならない点は
彼女の若い頃の画像だけでは無い。
2013年に「おしん」が映画化される際に
「渡る世間は鬼ばかり」で共演した
上戸彩に、おしんの母親役に選ばれた事
を泉ピン子が電話で伝えた時の
事である。
そのオファーに対し、上戸彩がまだ
母親役をやるには早すぎると訴えたが、
泉ピン子は命をかけて演じれば大丈夫と
背中を押したのだった。
これは恐らく、自らの若い頃の画像を
重ねて上戸彩を思っての発言に
違い無い。
また泉ピン子が彼女に自分の若い頃の
画像を重ねての叱咤激励のエピソードも
ある。
彼女が上戸彩と「渡る世間は鬼ばかり」
で共演した際、上戸彩が長いセリフを
覚えられず、彼女を待たせてしまった事
があった。
泉ピン子はセリフをちゃんと覚える様に
注意すると共に、自らのリポーター業の
スタートに見られる様に芸能界は席取り
ゲームなのだからポジションを奪われ
ないように努力する事の重要性を
教えた。
それ以来泉ピン子と上戸彩はお互いの
誕生日にプレゼントを交換する仲に
なった。
泉ピン子は芸能界のご意見番としての
面が強調されて語られる事も多いが、
それだけが彼女の全てでは無い。
医師である夫に隠し子が見つかっても、
夫と自分との間のの子供がいない事で
寂しさを募らせた夫に同情し、
また芸能界の先輩として次の世代を
見守る事の出来る女性だからだ。
まとめ
銀座の実家で浪曲師の父親と再婚相手の
育ての母親に影響を受けて歌手の前座と
してキャリアをスタートさせた
泉ピン子は、意外なキャリアでブレイク
した。
その当時の、若い頃の画像が壇蜜に
そっくりな所は芸能界でのポジションの
ギャップもあり以外ではある。
上戸彩へのアドバイスに見られる
愛情の深さは、芸能界の先輩としての
物と、自分自身が子供を授かる事が
出来なかった事で上戸彩を娘の様に
感じた故の物だったのだろう。
参考サイト
//tvtopic.goo.ne.jp/program/ntv/13466/674906/
//deai-wakare.tokyo/2016/11/23/izumi-pinko2016-2017/
//matome.naver.jp/odai/2143028545085382201