日本の調査団がヒッタイト帝国の
遺跡内で現在の定説よりも更に古い
人口の鉄の塊を発見しました!
この発見は鉄器の歴史を大きく
覆す可能性があります!
そもそもヒッタイト帝国とは
どういった国なのでしょうか?
滅亡までの歴史を辿ってみます!
ヒッタイト帝国とは?滅亡までの歴史と現在の位置!
日本の調査団が発見した人口鉄塊は、
これまでヒッタイト帝国が開発した
とされる鉄の製造方法の歴史に
大きな変化をもたらす可能性が
高いです。
そもそも鉄器を開発したとされる
ヒッタイト帝国とはどの様な国だった
のでしょうか?
歴史や滅亡の原因は?
記事前半では、
そんなヒッタイト帝国の簡単な
滅亡までの歴史について見て行きます。
また、現在の鉄の製造方法の始まりは
どうなっているのでしょうか?
記事後半では、
現在の鉄の製造方法の始まりの定説と、
日本の調査団が発見した鉄塊が
その定説にどの様な影響を与えるのか
見て行きます。
ヒッタイト帝国の歴史と滅亡と現在の位置①
ヒッタイト帝国は西は現在のトルコから
東はシリアまでの一帯を制覇した
巨大な国家でした。
その歴史は3段階に分けられます。
ヒッタイト古王国時代
・紀元前1680年頃に建国
・首都は現在のトルコのボアズキョイ
の位置に当たるハットゥシャ
・紀元前1595年にバビロン第一王朝を
滅亡させる
ヒッタイト中王国時代
・紀元前1600年頃~前1500年頃
・西アジアに出来た多民族との
関わり合いが多くなされた
ヒッタイト新王国
・紀元前1430年頃~
・紀元前1285年頃に古エジプトと
衝突する
・世界最古とされる講和条約を
古エジプトと結ぶ
他にも世界最古の女性の文芸作が
発見される等、ヒッタイト帝国は
当時の文化的にも優れた国であったと
言われています。
ヒッタイト帝国の歴史と滅亡と現在の位置②
では、そのヒッタイト帝国が滅亡した
理由とは何だったのでしょうか?
前1200年のカタストロフと呼ばれる
滅亡には有名な説が2つあります。
「海の民」による滅亡
・紀元前1200年頃に海から各国家に
侵入して破壊と略奪を行う「海の民」が
登場
・ヒッタイト帝国とエジプトが
攻撃され、ヒッタイト帝国は滅亡
天候の異変による飢餓
・紀元前1200年頃に急激な天候の
異変によって起きた飢餓で
ヒッタイト帝国が滅亡
何故、ヒッタイト帝国が滅亡したかの
詳細は判明していませんが、
この滅亡でヒッタイト帝国独占の
鉄器の製造方法が広まった
と言われています。
鉄器の始まりヒッタイト帝国の説を覆す?日本調査団の発見!
これまでヒッタイト帝国が鉄器製造の
始祖とされていましたが、
今回の調査団の発見はその定説を
覆す可能性が大きいです。
次はヒッタイト帝国が鉄器製造の
始まりとされる説の内容と、
日本調査団の発見でその説がどの様に
変わるか見て行きましょう。
これまでのヒッタイト帝国鉄器発明説!
これまで、鉄器の製造は、
紀元前1200年~前1300年の間に
ヒッタイト帝国が発明し、
技術を独占していたとされています。
その鉄器製造の独占が他国を
征服する力の源だとされていました。
そして、
ヒッタイト帝国の滅亡と共に
その技術が流出して各地に広まった
と見なされてきたのです。
しかし、今回の日本調査団の発見は、
鉄器製造の発明はヒッタイト帝国では
ない可能性を示しています。
日本調査団の発見!ヒッタイト帝国が鉄器の始まりじゃない?
日本調査団が発見した人工鉄塊は、
以下の様な特徴が見られました。
・紀元前2200年~2300年頃の地層から
出土
・発見された鉄の成分は、
出土した地域の鉄鉱石とは異なる
・同じ地層からヒッタイト帝国とは
異なる様式の建築物を発見
これ等の特徴から、鉄器製造技術は
ヒッタイト帝国では無い違う民族の発明
という見方が出来るのです。
これまでの定説を根本から覆しかねない
大きな発見を日本調査団がしたと
言えますね。
まとめ
まだ発見したばかりで確定的な事では
ありませんが、もし、日本調査団の
発見で鉄器の発明の歴史が変わったら、
かなりの功績ある発見をしたと
言えるでしょう。
RuRuhase
<参考サイト>
テレ朝news
朝日新聞
産経新聞