西城秀樹さんが逝去したと報じられ、
昭和に青春時代を過ごした人々に
大変な衝撃を与えている。
まだ63歳という早すぎる別れであり、
脳梗塞の後遺症やリハビリに励んでいた
姿を思い出すと、胸を締め付けられる。
今回は、若い頃の西城秀樹さんの、
派手な衣装で熱唱していた
ヤングマンに代表される、
スーパーアイドルとしての活躍を、
振り返り、西城秀樹を知らない世代の
人たちにお伝えしたい。
(以降敬称略)
西城秀樹が逝去!?若い頃とヤングマンと衣装!
西城秀樹の逝去の速報に驚いた。
原因は急性心不全だという。
西城秀樹と言えば、若い頃から
スポーツマン的な印象が強く、
テレビ番組の芸能人大運動会などでも
大活躍しファンをときめかせていたが
どこから人生が狂うのか、
分からないものである。
本名も木本龍雄と、なかなか格好良い
西城秀樹と言えば派手な衣装の
ヤングマンという程に
ヤングマンに代表されるヒット曲は
数多くあり、CMにも多数出演するという
まさに昭和の時代を代表する
スーパーアイドルの一角である。
筆者も若い頃には、妹やイトコの姉さん
にせがまれて、モノマネをして見せた
記憶が蘇ってくる。
実は筆者の個人的な意見では
西城秀樹の数多い歌の中で、
ヤングマンは、歌も衣装も
あまり好きではない。
コレに付いては後述する。
西城秀樹はヤングマンだけじゃない!
ヤングマンは、その強烈なインパクトで
誰もが知る西城秀樹の大ヒット曲だが
ヤングマン以上にファンから愛された
ヒット曲はとても多く、発売された
シングルレコードは85枚もある。
皆が若い頃、西城秀樹と共に売れていた
男性アイドルで、西城秀樹のライバル
と呼べる存在は、同じ新御三家として
活動していた郷ひろみと、
元ザ・タイガースの沢田研二だけだ。
歌も衣装も格好良さを追求する
沢田研二と比べ、ヤングマンにおける
西城秀樹の歌は内容が優等生的で、
衣装はコミカルだったため、
幼いながらに残念な思いをした事が
なんとなく記憶に残っている。
また、バラエティ番組にも多く出演し、
中でも「カックラキン大放送!!」は
新御三家が順番交代で出演しており、
研ナオコ扮する「ナオコばあちゃん」
は、当時の子どもたちに大人気だった
が、西城秀樹と郷ひろみは多忙な為、
たまにしか出演せず、野口五郎だけが
主に出演していた。
それだけに西城秀樹が出ると、
翌日の学校では、西城秀樹の話で
女子たちが浮かれて話していた事を
今でも覚えている。
アニメ「ちびまる子ちゃん」の
まる子のお姉ちゃんが、
西城秀樹の大ファンであり、
その様子が上手く表現されている。
ドラマ「寺内貫太郎一家」も
ある意味、西城秀樹のプロモーション
ではないか?と感じるほどに、
父役・小林亜星と西城秀樹とのケンカ
や、若い頃の樹木希林が扮する
ジュリーファンのおばあちゃんは、
ファンから大人気だった。
この人気は、その後80年代に、
ジャニーズのたのきんトリオが
出現するまで、長く続いた。
西城秀樹の若い頃の活躍!ヤングマン他代表曲や衣装とテレビでの存在感!
若くしてこの世を去ってしまった
スーパーアイドル西城秀樹。
西城秀樹と言えば、派手な衣装と
振り付けの影響で、ヤングマンと
言われるが、彼のヒット曲は数多く
一概に代表曲はヤングマンであるとは
言えない。
先程触れたヤングマンの歌も衣装も
好きでなはいという件に関してだが、
「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」は元々
アメリカでヒットしたディスコソング
である、ヴィレッジ・ピープルの
「Y.M.C.A.」を、日本の青春歌謡に
アレンジしたものである。
「若い内はやりたい事
なんでも出来るの~さ~」
などの、綺麗事が詰まった感じに、
幼いながらに拒否反応を起こしたから
だろうと、筆者の若い頃を回想する。
そして、アメリカの星条旗を模した
その衣装は、現代で言えば、
ハッピーボーイこと、ますおかの
岡田のようであり、少々滑稽である。
筆者は若い頃はジュリーこと、沢田研二
の大ファンであり、ロックな歌謡曲が
大好きな小学生だった。
だから、デビューからの西城秀樹の
ワイルドな歌たちが大好きだったのだが
ヤングマンは全く逆の爽やかなイメージ
であり、興味が無かったのだろう。
筆者は因みに、沢田研二の「TOKIO」も
その歌と衣装が嫌いであった。
この衣装は後に、ビートたけしによって
「タケちゃんマン」の衣装の原案となり
筆者の父親曰く、「ちんどん屋」
なのだそうだ。
筆者よりも更に前の世代の人たちには
とても受け入れられない様な、
センセーショナルな事だったのだろう。
ヤングマンは西城秀樹だったからこそ、
かろうじて格好良くも見えたが、
ピエロ的な歌やその衣装は、
ファンとしては辛いものがあったのだ。
実際に今でも、カラオケで誰かが
ヤングマンを歌うと盛り上がる皆とは
逆に興醒めしてしまうという、
言ってみれば筆者は、変わり者的な
意固地なファンなのかも知れない。
話を西城秀樹の若い頃に戻すが、
レコードだけではなく、
若い頃の西城秀樹はドラマや
バラエティ番組にも数多く出演した。
CMでは、モノマネで有名になった、
ハウスバーモントカレーが代表だろう。
また、西城秀樹の妹コンテストという
企画があり、全国から数多の応募が
集まっていた。
結果、その後、西城秀樹の妹として
河合奈保子がアイドル歌手デビューし
清純な衣装とイメージで活躍した。
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デビューから全盛期。
同世代の読者の方々の若い頃の記憶には
必ず登場するであろう西城秀樹の
ヒット曲とその他の活躍を西城秀樹を
知らない世代の方々にお伝えしたい。
「恋する季節」で歌手デビューした
西城秀樹は、いきなり多くの女性から
支持され、出すレコード全てがヒット
するという異常な現象が起きていた。
「ワイルドな17歳」
というキャッチフレーズの通り、
野性的で激しいパフォーマンスに、
世の女性たちは皆、心をときめかせた。
男性の目から見ても、それはとても
格好良く、憧れてしまう偶像であった。
西城秀樹の歌の中でも、
「傷だらけのローラ」「ギャランドゥ」
「ブーメランストリート」などは、
数多くモノマネされているので、
「ヤングマン」と同等の知名度がある。
それにも関わらず、ヤングマンが代表曲
と言われてしまうのは、やはりあの、
派手でダサいハッピーボーイ的な星条旗
デザインの衣装の影響だろう。
1972年のデビューから、年間4~5枚
のレコードを発売しており、破竹の勢い
でセールスを伸ばし、スーパーアイドル
の名をほしいままにしていた。
実際に、西城秀樹は筆者と同じ広島県の
出身であり、西城秀樹のまだ若い頃に
筆者の通う小学校に、警察の一日署長
として訪れていた。
忘れもしない、土曜日で半ドンの下校前
全校生徒が校庭に集められ、
「〇〇小学校のみなさ~ん。
こんにちは~!」
的な、西城秀樹の話を聞いていた。
話の内容は全く覚えていないが、
全校生徒の前で、YMCAの振り付けを
してくれた事だけは目に焼き付いてる。
衰退期以降
やがて時代は流れ、80年代後半、
たのきんブームも終わり、世の中は
バンドブームへと移り変わった。
当然、アイドル歌手という存在は、
淘汰されていき西城秀樹も郷ひろみも
本格派歌手へと舵を切っていた。
西城秀樹は特に、「抱きしめてジルバ」
というワムの「Careless Whisper」
のカバーをした事で、歌手としての
実力が世間から再評価された。
因みにこの「Careless Whisper」は
郷ひろみも、同時にカバーしている。
西城秀樹に比べ、元々の歌唱力が
低かった郷ひろみは、アメリカで
ボイストレーニングを受け、
本格派歌手として日本に蘇っている。
逆に言えば、生来の声量や音感、
リズム感などで勝負してきた西城秀樹
は、天才だったとも言えるだろう。
だが、時代の流れには逆らえず、
押し寄せるバンドブームの中、
西城秀樹も身を潜めるかと思いきや、
見事に再度、ヒット曲を出した。
それは1991年のアニメ
「ちびまる子ちゃん」の主題歌
「走れ正直者」である。
この西城秀樹の復活には
誰もがビックリしただろう。
あの格好良い西城秀樹が、
100円玉を降板に届けるという内容の
コミカルな歌を歌っているのだ。
リンリンランラン、ソーセージ?
前述の通り、筆者の好きな西城秀樹とは
またしても正反対だったのだが、
この時はなぜか、好感が持てたのだ。
あの独特の、掠れながらも力強い、
唸るような歌い方や、切れのある振りも
我々の脳裏にハッキリ焼き付いている。
西城秀樹の歌は数多いが、筆者が一番
好きな歌は「ブルースカイ・ブルー」
大人になって、若い頃の恋愛を悔やむ
そんな内容を歌っている西城秀樹は
やはり格好良いままである。
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西城秀樹の脳梗塞と後遺症!原因はサウナ!?
西城秀樹の脳梗塞は、
2003年に韓国公演の後サウナに入った
事が原因ではないか?と言われている。
この時、西城秀樹はミュージカル出演
の為に減量中で、食事や水分が不足した
状態にあったといい、無理なジムでの
運動やサウナが悪い方に作用した様だ。
脳梗塞の後遺症は、ラクナ梗塞で、
発音や呂律に障害が出るという
非常に辛いものとなり、
西城秀樹は懸命にリハビリに励んだ。
そして2011年に再発した脳梗塞では
右半身麻痺という重い後遺症が出て
車椅子の生活が始まった。
リハビリしながらも、講演会などに
参加し、同じ病気で苦しむ人たちの
心に勇気を与える活動をしていた所など
体が不自由になってもスーパーアイドル
は健在していたのだ。
ご冥福をお祈りします。
hike