「傷だらけのローラ」や「YOUNG
MAN」等のヒットで昭和の音楽界を
彩った西城秀樹さんが亡くなられた。
脳梗塞を患い、闘病中であった西城秀樹
さんを支えたのは嫁と3人の子供だ。
嫁との馴れ初めや年齢、岐阜の実家
について調査した。
(以下敬称略)
西城秀樹を支えたのは嫁と子供、年齢や馴れ初め、岐阜の実家とは?
脳梗塞を患った西城秀樹は今まで闘病を
続けて来た。
闘病生活を支えて来たのが嫁と3人の
子供達である。
嫁との年齢差が17歳と言う事もあり、
子供達はまだ成人していない年齢だ。
今回の訃報は家族にとって大変辛い物
に違いない。
ここでは献身的に闘病生活を支えた嫁
について注目しよう。
西城秀樹との馴れ初めや、岐阜にあると
検索されている実家について調査した。
馴れ初めや岐阜の実家の情報を
紹介して行こう。
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西城秀樹の嫁と実家
西城秀樹の嫁は槙原美紀さんだ。
年齢は17歳離れており、芸能界では
多く見られる年の差夫婦である。
西城秀樹と結婚した時の年齢は28歳
であり、現在は46歳だ。
嫁の実家は岐阜県と検索されている。
だが実際は、大阪府に実家がある。
どこから岐阜と言う場所が出て来たの
だろうか?
これは西城秀樹の嫁が岐阜市内で子供の
うち2人を出産したからだ。
里帰り出産を行う人が多い為、岐阜が
嫁の実家だと言う憶測が出たのだろう。
西城秀樹の子供
2人の間には3人の子供達がいる。
2002年に長女の莉子、2003年に長男の
新之助、2004年に次男の悠天が
誕生した。
3人は年子で、現在の年齢は順に16歳、
15歳、14歳だ。
中高生と言う多感な時期に父親を
亡くした3人は辛い思いをしている
事だろう。
西城秀樹と嫁の馴れ初め
西城秀樹と嫁の馴れ初めはどの様な物
だったのだろう?
西城秀樹の姉が大阪で暮らしており、
近所に住んでいたのが嫁の槙原美紀
だったのだ。
姉が西城秀樹に紹介した事で交際が
スタートし、2001年に結婚。
以上が2人の馴れ初めである。
恋のきっかけはどこに転がっていても
不思議では無いのかも知れない。
年齢が17歳離れた嫁と子供達が支えた西城秀樹の闘病生活
西城秀樹の闘病を支え続けたのは17歳
年齢が離れた嫁であった。
その闘病生活は2003年から現在までの
15年に及ぶ。
2人の馴れ初めは西城秀樹の紹介で
あった。
姉と後に嫁となる槙原美紀が近所に
住んでいたと言う馴れ初めは、まるで
ドラマの様である。
夫婦の絆に年齢差等は関係無いが、
女性として最も華やかな時期に闘病を
支えて来たのは並大抵の物ではない。
もちろん誕生した子供達の子育ても平行
して行って来たのだ。
子供達も父親である西城秀樹を支え続け
て来た。
実家である大阪を離れ東京に嫁ぎ、
岐阜県岐阜市にて子供を出産した嫁の
槙原美紀。
実家から離れている為、頼れる人も
少なかったのではないだろうか。
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西城秀樹の闘病を支えた家族
西城秀樹は2003年と2011年に計2回、
脳梗塞を発症している。
1度目は韓国滞在中に発症し、帰国後
すぐに治療の為に入院。
復帰後は新曲のリリースやドラマ出演を
行い、完全復活した様に思われた。
しかし2011年、2度目の脳梗塞が
西城秀樹を襲う。
命に別状は無かった物の、後遺症として
右半身の麻痺や言語障害が残った。
1度目の脳梗塞の経験から十分な知識を
持ち、食生活や運動には気を遣っていた。
そんな中でに2度目の発症だ。
西城秀樹はショックで半年程立ち直れ
なかったと言う。
もう一度芸能界の舞台に立つ為、家族の
支えと共にリハビリに専念して来た。
散歩や柔軟体操、音読等、後遺症が
残った部分中心のリハビリメニューを
こなした。
リハビリの際に支えとなったのは、
「一緒にゆっくり治そう」と言う嫁の
言葉であった。
家族の支えがあったからこそ、西城秀樹
は辛いリハビリを乗り越えられたのだ。
まとめ
西城秀樹の嫁と子供達について紹介
した。
子供が誕生して間もなく始まった闘病
生活。
献身的に支え続けたのは嫁と成長する
子供達。
西城秀樹が辛いリハビリを乗り越えられ
たのは家族の支えがあったからだ。
最後に、西城秀樹のご冥福を。
サカモトマユ
<参考サイト>
Wikipedia
朝日新聞DEDITAL
Livedoor’NEWS