中曽根康弘の正体!ジャニーズとの裏の関係と日航機墜落事故の真実!?

戦後5番目の長さの期間となる1806日の
首相在籍日数は数える
中曽根康弘元首相は、その性的嗜好と
日航機墜落事故に関する黒い噂がある。

彼の性的嗜好は、ジャニーズ他の
伝手もある事で芸能界でも
有名になっており、政界でもつとに
有名であった。

年明けに新たな元号を迎える事で
4代を生きた彼の黒い噂は
どの様な物なのか?

 

中曽根康弘とジャニーズとの黒い噂と本命とは!?

 


1947年の衆院選で初当選し、1982年に
首相に就任後は国鉄、電電公社、そして
日本専売公社のの民営化を果たし
憲法改正を自らのライフ―ワークとして
来た中曽根康弘元首相には、
日航機墜落事故の黒い噂のある関与の
噂と政界に関する名言を残している。

またその性的嗜好は、ジャニーズ系の
美少年を好むと言われ、日航機墜落事故
の陰謀説同様に政界では有名であった。

また中曽根康弘は同性愛の対象の
美少年の斡旋源をジャニーズ以外にも
持っていると言われ、
海外にもそのルートがあった事は、
日航機墜落事故もあった首相在任中に
明らかになっている。

総理時代にはレーガン元大統領の口利きで高級男娼をゲット!?


中曽根康弘の性的嗜好はゲイという噂が
政界では有名になっていたが、その事を
裏付ける噂話は、海外でも有名で
あったとも考えられる。

後述の日航機墜落事故の時とは裏腹に
明け透けな態度で、レーガン元大統領と
「ロン」「ヤス」と呼び合う程親密な
関係であった事もまた有名であり、
渡米中に高級男娼の手配をして貰ったと
いう物である。

また中曽根康弘は、ジャニー喜多川にも
少年を斡旋して貰っているとも噂されて
おり、ジャニー喜多川が
ジャニーズ事務所の少年に対して
性行為を行った事で裁判沙汰になっても
彼の圧力で警察も
動く事が出来なかったという噂もある。

その上中曽根康弘は、ジャニーズから
少年を斡旋してもらう事もあり、
その年下の少年を好む嗜好は、
可愛がっていた少年をフランスに
留学させていた事もある程だ。

この遍歴だけでも相当派手な物である。

しかし彼には、ジャニーズの美少年とは
別の「本命」が存在した。

ロサンゼルスへの外交出張時に沢田研二とも密会!?


「ザ・ベストテン」の常連でもあった
元ザ・タイガースの人気歌手、
沢田研二は中曽根康弘との交際の噂が
あった。

その証拠の一つとして、
沢田研二がレコーディングの際に
ロサンゼルスに出向くタイミングと
中曽根康弘が外交出張の時期が重なって
おり、2人はロサンゼルスで会っていたと
言われている。

彼が一番ぞっこんになっていれ上げて
いたのは沢田研二ともいわれ、愛人で
あったとの噂もある。

この性的嗜好と首相退任後の批判の
コメントもあり、歴代総理の中でも
中曽根康弘の評判は高くは無いが、
その要因の一つとして、日航機墜落事故
での答弁にもあった事は否定出来ない。

 

ジャニーズの件は序の口!?中曽根康弘の日航機墜落事故に関する噂!?

 


中曽根康弘の首相在任期間中の
1985年8月12日、
群馬県の御巣鷹山に日本航空123便が
墜落した、「日航機墜落事故」が
起こった。

ジャニーズ関係者は幸いにも登場して
いなかった事は首相中曽根康弘に
とって幸いであったともいえるが、
この事故の調査に当たっていた
前橋地検の山口悠介検事正は、
「事故原因をギリギリまで
追及すれば戦争になる」とまで
発言した。

ジャニーズの件以上に闇を感じる
日航機墜落事故に関する中曽根康弘の
噂はどういう物があるのか?

日航機墜落事故の裏で考えられた陰謀の数々!


日航機墜落事故の要因として語られた
機体の後部圧力隔壁と垂直尾翼の破損
の他に、自衛隊の教練で使用された
標的機がぶつかったという物をはじめ、
米軍機のミサイルで撃墜されたという物
まであった。

しかし安全面の事から考えればこれらの
軍事行動の信憑性には疑問が残る。

だが中曽根康弘はこの日航機墜落事故が
起こった事を受け、首相であった彼は
「真実は墓場まで持って行く」と
発言した事により、陰謀論の存在を
噂され、ジャニーズの件までも
暴露されかねない状況であった。

その中で一番信頼できるといわれた説は
日航機墜落事故はアメリカ軍の仕業と
いう物であったが、あくまでも原因は
上記の機体の後部圧力隔壁の
損傷であった。

日航機墜落事故で陰謀がささやかれた理由とは!?


中曽根康弘が在任中のこの時期は、
円が強い為にアメリカとの経済摩擦が
発生しており、日航機墜落事故の原因
によっては、123便のボーイング機を
含むアメリカ製品の信頼の失墜と
なるリスクもあった。

「双子の赤字」で苦しめられていた
アメリカは、日本に対して
円の切り上げを依頼したが、日本側は
取り合わなかった。

そこで上記のミサイル攻撃があったと
いう物であるが、それを裏付ける様に
1985年9月21日のプラザ合意で
アメリカ側の要求を受け入れ、1ドルが
250円に決定した。

この事が日航機墜落事故において
何らかの陰謀があったと考えられる
要因となった他、防衛費を国民総生産の
1%枠を撤廃した事から、アメリカへの
追従と見る向きもあり、
「ヤスはロンの使い走り」と批判された
事もあった。

この意味ではジャニーズ以上にレーガン
元大統領に入れあげていたのだろう。

しかしこの事実は当時経済大国であった
日本がアメリカと軍事同盟を結んだと
いう事であり、ロシアは軍拡競争を
諦める大きな要因ともなった。

この様に、ジャニーズの件に見られる
性愛の件はともかく、冷戦にピリオドを
打った程の中曽根康弘の外交手腕は
もう少し認められても良い気もする。

中曽根康弘の
「真実は墓場まで持って行く」発言は、
日航機墜落事故の件が盟友ロンに
悪影響を及ぼすリスクを恐れての事で
あった可能性もある。

 

まとめ

 


中曽根康弘の首相在任中は日米の関係を
ジャニーズとは別の意味で密にした他、
1983年のサミットではソ連に対する
包囲網を提唱する事で、冷戦の終結への
突破口を開いた。

日航機墜落事故の際にはその発言で
物議をかもして数々の憶測を生んで
しまったが、後進の政治家に対する
苦言には相応の愛情もあった。

その政治力に衰えを見せなかった。
中曽根康弘は2018年5月27日、
100歳を迎えた。

参考サイト
日本経済新聞
産経ニュース

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