市村正親の若い頃!父親と母親の話やその人生について

市村正親さんとは、舞台出演が
とても多くて、舞台俳優としては
実力派俳優で有名です。

私生活も、24歳年の差婚のタレント
篠原涼子(しのはらりょうこ)さんが
嫁さんであることでも有名です。

今回は、
市村正親さんの若い頃の話と
父親と母親の事など、
一つずつ見ていきましょう。

 

 

市村正親の若い頃!

 


まずは、市村正親の若い頃について
見ていきましょう!

市村正親の人物紹介を致します。

1949年1月28日生まれで現在67歳。
埼玉県出身。

若い頃から舞台俳優、俳優、
声優として活躍中!

舞台芸術学院を卒業後、西村晃の
付き人を3年間務めています。

西村晃といえば、水戸黄門の
ご老公役を務めていましたね。

1974年に、正式に劇団「四季」に
入団しています。

1980年代の劇団四季の看板俳優に
なりましたが、1990年に
退団しています。

退団後は、ミュージカル、
テレビドラマ、
ナレーションなどで活躍して
「世界一のエンジニア」とまで
呼ばれるようになりました。

1984年劇団四季の女優・八重沢真美と
結婚しますが、子供は授からず、
2003年5月に離婚しています。

2001年に共演した篠原涼子と知り合い
2005年12月に再婚しています。

一部報道では、篠原涼子の
略奪愛と噂されています。

市村正親は、若い頃から俳優として
実力派俳優だったのですね。

 

 

市村正親の父親や母親の話や人生について

 


市村正親の父親や母親の話や
人生について見ていきましょう。

農家の長男として生まれた父親は
家業を継がないで、地方紙の
新聞記者をしていて、母親は飲食店を
経営していました。

市村正親は、子供時代は母・「こう」
が経営していた居酒屋の近くにある
映画館によく出入りしていました。

映画を見たり、遅い時間まで
働いている両親を待つために
映画館で眠っていたりしていました。

この子供時代に観たたくさんの映画が
市村正親の俳優としての
根源だったのかもしれませんね。

市村正親の父親は、まるで
「男はつらいよ」の寅さんのような
生き方をしていたようです。

隅田川の橋の上で、露天商をして
ラムネやアイスを売っていたことも
ありました。

ある時には、川越市内で
ダンスホールを開業したことも
あったそうです。

最後には、月刊ローカル紙を
創刊していました。

しかし、このローカル紙は
儲かってなかった気がすると
市村正親は話しています。

なかなかチャレンジ精神が
旺盛な父親です。

父親の市村信之は、市村正親が
34歳の時に他界されています。

口癖は
「ハングリー精神を持て!」
だったそうです。

一風変わった父親のように感じますが
市村正親によると
とても厳しい父親だったようです。

 

母親について


市村正親の母親は、「市村こう」
というお名前です。

埼玉で"いっちゃん"という居酒屋を
切り盛りしていました。

篠原涼子は、2歳の時に母親が
他界されているので、こうを
実の母親のように大切に
してきたようです。

2012年87歳で脳梗塞のために
他界されました。

前日に篠原涼子は、
次男を出産しましたが、
母「こう」は、2番目の孫と遊ぶ夢は
叶いませんでした。

葬儀には、常連のお客さんなどが
大勢参列してくれて、こうの
温かい人間性が伝わりました。

 

まとめ


舞台上では、圧倒される
演技力と存在感がありますが、
市村正親は、小さい頃は決して
裕福な生活をしていたわけでは
ないようです。

舞台俳優以外にも、アニメ・ポケモンの
声優をこなしたりと幅広い活動を
しています。

現在67歳ですが、子供達がまだ
小さいので 健康に誰よりも気を使って
長く活躍して欲しいですね。

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