明石家さんま日航機墜落事故の奇跡!娘いまるの名前に込めた思い!大竹しのぶは反論?

数々のエピソードを持つ明石家さんま
だが、極め付けは日航機墜落事故を
偶然逃れた事ではないだろうか?

明石家さんま自身、この事件には相当
思うものもあるらしく、それは娘の
いまるという名前にも込められている。

今回は明石家さんまと日航機墜落事故
について振り返ると同時に、娘いまるの
名前のエピソードについても触れて
いこう。

 

間一髪!?日航機墜落事故を逃れた明石家さんま

 


航空機の墜落事故として最悪と言われて
いるのが、1985年の日航機墜落事故だ。

この日航機墜落事故はお盆の時期という
書き入れ時という事もあり、乗客も
多く席の予約もいっぱいだった様だ。

そして、飛行機の墜落により520名
もの尊い犠牲が出てしまったのだ。

だが、この日航機墜落事故に本来巻き
込まれていたが、奇跡的にその難を
逃れた人たちもいる。

その内の一人が明石家さんまである。

明石家さんまは本来番組の収録のため
東京大阪間を就航するJAL123に搭乗
予定だったが、前の番組収録が早く
終わったという事で、急遽別の便に
乗る事になった。

この番組収録の時間変更という些細
な事がきっかけで、日航機墜落事故
を逃れる事ができたのだ。

事故発生後、明石家さんまは予定して
いた生放送の番組に出演したものの、
番組の内容は日航機墜落事故の特番と
なり、明石家さんまも真剣な表情で
日航機墜落事故について語っていた
様だ。

このコメントは相当なプレッシャー
なり、重みがありすぎるコメント
だったに違いないだろう。

「私も死んでいたでしょう」と
明石家さんまはそうコメントをしたが、
明石家さんま自身、この場合何も
コメントを発したくなかったのでは
ないだろうか?

といのも、日航機墜落事故について
コメントをする事で、ありえたかも
しれない自分の死を意識してしまい
恐怖を感じてしまうに違いない
からだ。

何も考えたくなかったというのが
明石家さんまの本音だったのでは
ないかと思う。

そして、明石家さんま自身が
日航機墜落事故という悲劇に
向き合っていくには、時間が
必要だったに違いない。

「もしかしたら自分は死んでいたかも」
時間が経てばこの言葉に向き合って
あり得たかもしれない死を考える事が
できるかも知れない。

しかし、事故直後だとその死はあまり
にリアルすぎて、ただただ恐怖に
飲み込まれてしまうのでは
ないだろうか?

その様な意味で、日航機墜落事故の
事故直後にもかかわらず、しっかりと
したコメントをした明石家さんまは
改めて格が違うのだと感じざるを
得ない。

 

 

明石家さんまの娘いまるの名前の秘話

 


あり得たかも知れない死に向き合った
明石家さんまが確信した事がある。

それがあの名言
「生きてるだけで丸儲け」
である。

死と向き合った明石家さんまだからこそ
深みがある言葉に聞こえる。

そして、この名言の思いを込めて

娘に「いまる」という名前を名付けた。

明石家さんまと大竹しのぶの娘いまる
が生まれたのが1989年。

あの日航機墜落事故から4年後である。

4年という月日が流れ、あの事故から
「生きているだけで丸儲け」という
価値観をより大切にする様になった
明石家さんま。

この言葉は根っからのポジティブ人間
明石家さんまの生き様なのかも
知れない。

生きてるだけで丸儲けを省略した
いまるという名前は一見奇抜に
思える。

明石家さんまの今までの死生観から
感じ取った価値観が込められている
と考えると、娘のいまるという名前
は非常に意味が深い名前に思えて
ならない。

しかし、娘のいまるの名前は
明石家さんまとは違う思いを込めて
つけた名前だと、大竹しのぶは
反論している。

大竹しのぶ曰く「今を生きる」という
意味を込めて、娘にいまるという名前
を命名した様だ。

どちらが本当の主張なのかは不明だが、
明石家さんま、大竹しのぶのどちらも
娘のいまるに対し「生きる事」の思い
を込めた名前の由来となっている。

どちらにせよ、いまるという名前から
「生きている事はラッキーであって
楽しく生きて行こう!」
という明石家さんまと大竹しのぶの
メッセージを感じ取れるのは筆者だけ
だろうか?

<参考>
//ja.wikipedia.org/wiki/IMALU
//dic.nicovideo.jp/a/日本航空jal123便墜落事故

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