宇多田ヒカルの子供時代!天才の母親と歌と父親と前川清!?

宇多田ヒカルの絶好調が、止まらない。

自身が作詞作曲して歌ったデビュー曲
「Automatic」は『天才現る』
と、世間に衝撃を与えた。

それから20年。
今でも第一線に立っている。

そんな宇多田ヒカルの原点である、
子供時代と、歌手だった母親の存在。

そして、父親である宇多田照實氏。

並びに、時々、父親と間違われてしまう
前川清との関連性について調べてみた。

 

宇多田ヒカルの子供時代について。歌に対する天才肌は、父親と母親の影響によるもの?

 


デビュー20周年を迎えた
宇多田ヒカルの人気が永く続いている。

抜群の歌唱力と宇多田ヒカル自身が
作詞作曲した楽曲のクオリティの高さは
デビュー当時から「天才」と騒がれた。

2018年6月27日に、7枚目の
アルバム「初恋」をリリース。

驚くほどシンプルな楽曲構成で、
歌唱力を全面に打ち出した
この同名シングル曲は
どこか宗教的な印象もあり、
同業の強者たちも舌を巻く程の
非常に大きな支持を得ている。

これにより、また一つ、
宇多田ヒカルが天才である事を、
世間に確認させている。

そんな宇多田ヒカルの子供時代とは?

天才肌は父親と母親の影響か?

また、時々、宇多田ヒカルの父親は
「前川清だ」と吹聴される。

母親と共に、
歌唱力の高さが認められる以上、
間違われるのも致し方ない処だ。

宇多田ヒカルの子供時代と、
父親と母親の存在について。

並びに、前川清との因果関係を、
紐解いて行く事にしよう。

宇多田ヒカル。歌手になるまでの生い立ち


宇多田ヒカル(本名・光)は、
1983年1月19日ニューヨークに、
父親は音楽プロデューサー宇多田照實、
母親は人気歌手だった藤圭子の元に、
生を受けた。

母親である歌手・藤圭子は、
ハスキーな歌声と可憐な風貌から
一躍人気歌手となり
「新宿の女」「命預けます」等の
大ヒット曲がある。

藤圭子の歌声から、
宇多田ヒカルを思い浮かべる
年配世代も多い。

父親と母親の間では、なんと、
6回の離婚と結婚が繰り返され、
些細な喧嘩で離婚した為、
数週間で復縁したと言う過去もある。

他にも、スタジオを買う為に車を売った
と、父親が突然言い出したり、
明日からニューヨークで暮らすと
突然母親が宣言したりと、
言った事が急にひっくり返る家だったと
宇多田ヒカルは回想している。

子供時代から父親と母親の
微妙な関係を見ていた宇多田ヒカルは、
安心したら絶対傷ついてしまったり
裏切られた気持ちになる為、
何も信じないようにしようと考えていた
と、振り返っている。

波乱の子供時代を過ごした
宇多田ヒカルがその時期に没頭したのは
活字や漫画だそうだ。

読書は勿論、自分で短編小説を書き、
漫画雑誌に作品を投稿したり、
子供時代から創作活動に目覚めている。

後に天才と騒がれる事となる
アーティスティックな歌のセンスは、
子供時代から培われ、
研ぎ澄まされて来たと見受けられる。

宇多田ヒカルはひとりっ子で、
独りで遊ぶのが日常的だったと、
話している。

ひとりっ子に生まれ、子供時代から
独りで遊ぶのが得意だったと、
天才肌のアーティストには
述懐する人が多いが、
宇多田ヒカルもその一人と言えよう。

その為、子供時代は
歌手になる気がなく、
学者や漫画家、作家などに憧れていた。

宇多田ヒカル。天才アーティストと呼ばれる、歌手としての片鱗


しかし1990年、父親と母親と共に
ユニット「U3」を結成。

1993年9月に
アルバム『STAR』を発売して
日本デビューも果たしと、
子供時代から、歌手活動も始めている。

歌手・宇多田ヒカルとしての
天才の片鱗は、音楽一家に産まれた
父親と母親の影響から、
既に、出来上がっていた。

父親と母親は、7回目で正式に離婚。

父親の宇多田照實は宇多田ヒカルの
音楽プロデューサーとなり、
縁の下から支え、活躍している。

母親の藤圭子も宇多田ヒカルを
縁の下で支えていたが、
62歳の若さで、
自らの命を絶ってしまった。

2000年に行われた宇多田ヒカルの
コンサートツアーの札幌公演で、
突然呼び出され、
「圭子の夢は夜開く」を歌ったと、
親子共演を果たしてもいる。

藤圭子と言えば、
昭和を代表する歌手であり、
前川清と結婚していた事は、
年配世代にとっては、常識である。

しかし若い世代には、母親は藤圭子で、
前川清の子供が宇多田ヒカルだと、
勘違いしている人が、以外に多い。

そこで、前川清と宇多田ヒカルの
関係について、調べてみた。

 

宇多田ヒカルと前川清の関係性について。歌手としての因果関係とは?

 


宇多田ヒカルは、
音楽プロデューサーである父親と
歌手だった母親という、
音楽一家の元に生まれ、
子供時代から天才肌の片鱗を見せた、
歌手である。

歌手・宇多田ヒカルを語る時には、
何故か、前川清の名前が出て来る。

前川清は
母親・藤圭子の元夫である事に加え、
歌も上手い処から、若い世代が
父親であると錯覚する気持ちも、
理解できる。

前川清と言えば歌手の他にも、
コントが天才的に巧かったと言って
頷けるのは、年配世代だろう。

コンサートにおいても、
「どーも、宇多田ヒカルの父親です」
と、ジョークで観客を喜ばせている。

ここからは宇多田ヒカルの子供時代と、
前川清との接点について、調べてみた。

宇多田ヒカルの母親・藤圭子と前川清の関係


宇多田ヒカルと、
母親・藤圭子の元夫である前川清との
共演は、未だ無い様だ。

前川清は宇多田ヒカルの生まれる以前に
母親・藤圭子と1971年に結婚している。

前川清の方から藤圭子に惚れ、
交際をひた隠しにしながら
電撃結婚をしたと、当時は騒がれた。

しかしこの結婚生活は1年程で
ピリオドを打つ事になってしまう。

「内山田洋とクールファイブ」の
人気が絶頂だった前川清と、
歌手として大活躍していた藤圭子の
多忙による生活のズレが
主な原因だったと言う。

前川清自身は静かに過ごしたかったが、
事務所が派手さを求めた辺りから、
お互いに意識のズレが出来たのでは?
と、当時を振り返っている。

しかし、離婚後も
付き合いはあった様子で、
ある日、前川の元に、
ニューヨークの藤圭子から
「自分の子供は天才だ」
と連絡が入った。

何が何だか解らなかった前川だが、
後にその子供が宇多田ヒカルだと解り、
衝撃を受けたそうだ。

歌声がそっくりなところから、
藤圭子の面影を見出し、
離婚後、其々、
色んな事があったんだろうと、
様々なストーリーを感じる
と、コメントをしている。

宇多田ヒカルと前川清の因果関係が


前川清が5月にリリースした新曲が
「初恋 Love in fall」であり、
タイトルに、
宇多田ヒカルの最新アルバムと
同じ「初恋」がつくのは、
何かの因果を感じざるを得ない。

前川清は今でもコンサートで、
毎回1曲は、
藤圭子の歌を歌っているそうである。

 

まとめ

 


活動休止期間もありながら、現在も人気
を誇る宇多田ヒカル。

数奇な運命を辿っているが、
天才的な音楽センスのDNAは、
持って生まれた賜物である。

デビューして20年間も人気を保つ事は
並外れた才能である。

テレビ・映画の主題歌やCMソングの
起用も多く、歌声を耳にする機会は
これから更に多くなるだろう。

これからの活躍にも、注目したい。

Nabesama

<参考サイト>
宇多田ヒカル公式HP
Youtube
Music voice
オリコンニュース
アサ芸プラス

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