三田佳子は児玉誉士夫の極妻!?デヴィ夫人も絡む日本政財界フィクサーとの関係とは!?

日本の戦後を作り上げた陰の功労者、
児玉誉士夫には様々な疑惑がある。

そう、それが今回のコワーイ噂、
三田佳子は児玉誉士夫の極妻説である。
物語には、あのデヴィ夫人も関わる。

終戦を迎えた翌日、
1945年8月16日に
児玉誉士夫と懇意にしていた大西が
遺書を残し割腹自決した。

児玉誉士夫も急行し、
駆けつけた児玉に
「貴様がくれた刀が
切れぬばかりにまた会えた。
全てはその遺書に書いてある。
厚木の小園に軽挙妄動は
慎めと大西が言っていたと伝えてくれ」
と話した。

児玉誉士夫も自決しようとすると
大西は「馬鹿もん、貴様が死んで
糞の役に立つか。若者は生きるんだよ。
生きて新しい日本を作れ。」といさめた。

これをきっかけにして、
児玉誉士夫は日本の戦後を作り上げ
日本政財界フィクサーと呼ばれる程、
裏社会で活躍するようになった。

 

 

三田佳子は児玉誉士夫の極妻!?

 


三田佳子、本名は高橋嘉子。
夫は元NHKプロデューサーの高橋康夫。

次男の高橋祐也は覚せい剤で、
三度の逮捕歴があったことで有名。
2007年の時点で、月に70万円の
お小遣いを渡していたという。

児玉誉士夫は、日本の右翼運動家。
反社会的勢力団体・
錦政会(後の稲川会)顧問。
「政財界の黒幕」、「フィクサー」
などと呼ばれた。

大阪で生まれた三田佳子と児玉誉士夫の
接点はどこにあったのだろうか?

その真相は謎のままである。

しかし、2人の関係は、
極妻と揶揄されるほど
噂になっており、
親密な関係にあったことは、
間違いないようである。

対韓経済援助リベート問題、
インドネシア賠償リベート問題など、
対外スキャンダルにも黒幕として
関わったと言われる児玉誉士夫。

1976年(昭和51年)、
ロッキード事件が発覚し、
一連の政界スキャンダル問題に
関与したことが明らかにされた。

 

 

極妻の噂とデヴィ夫人の存在とは?

 


児玉誉士夫は芸能界との繋がりも深く、
特に、極妻と揶揄されるほど
三田佳子と親しかった。

三田佳子は、1986年の大河ドラマ
『いのち』に主演し、高視聴率を獲得。
テレビでの人気を不動のものとした。

また、好感度の高さから
数多くのCMに起用され、
当時、CM女王の異名を持つ
日本を代表する女優である。

インドネシアへの政府開発援助では、
東日貿易秘書としてスカルノ大統領の
夜の相手に選ばれたクラブホステス
根元七保子(通称デヴィ夫人)を
送り込んで荒稼ぎをしたとされる。

デヴィ夫人が働いていた
クラブの名は、「コパカバーナ」
水割り一杯=大卒の初任給
と言われた超高級クラブである。

当時、日本はインドネシアに対し、
敗戦処理のために830億円の
賠償金を払っていた。

スカルノ元大統領が
インドネシア大統領であったこと、
デヴィ夫人が若く美しい女性だったこと
そして、2人が恋に落ちたこと。

それらは運命だったのかもしれない。

しかし、巨額の利権渦巻く状況から、
デヴィ夫人は、東日貿易という
商社が送った刺客だった。
という説が有力とされている。

そして、この作戦の背景には、
「昭和のフィクサー」と呼ばれる
児玉誉士夫がいたとされる。

 

まとめ


噂の真相は、本人たちのみが
知っていることであり、
全てを把握することは難しい。

今でも謎多き児玉誉士夫は、
どこまでデヴィ夫人の結婚に
影響を与えたのかはわからない。

元CIAエージェントだったという
裏社会に君臨した彼の行動は、
表に出ることは無いのかもしれない。

しかし、真相がどうであれ、
美女を送り込むとはなんとも単純で
稚拙な作戦でおもしろい。

英雄色を好むと言うように、
スカルノ大統領も
かなり女好きだったようだ。

今でこそ年末のガキの使いや、
ドッキリ番組など、
バラエティで活躍するデヴィ夫人。

彼女はその美貌で、
スカルノ大統領の妻という地位を獲得し
日本を救ったのかもしれない。

ZAKINOMIYA

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