寺尾玄【バルミューダ】の出身高校やロックバンドとは?ベンチャー企業のサクセス!

電気機器を中心に製造している
バルミューダ株式会社を
ご存知でしょうか?

社長の寺尾玄さんは、企業をする前は
高校を中退し諸外国を旅していたり、
ロックバンドのプロボーカリストを
目指していたりと異色の経歴の持ち主。

そんな寺尾玄さんの出身校や
ロックバンドなどの気になる噂について
まとめてみました。

 

 

バルミューダ社長、寺尾玄の出身校やバンドは?

 


電気機器を中心に多数の画期的な製品を
世に送り出している、
バルミューダ株式会社が話題と
なっています。

そのバルミューダ株式会社の
代表取締役社長の寺尾玄さんの経歴が
異色なのです。

寺尾玄さんは1973年7月25日生まれ、
2016年9月現在は、43歳です。

17歳で高校を中退しスペイン、
イタリア、モロッコなどといった
地中海沿いの国々に旅に出たそうです。

帰国後は、シンガーゾングタイターと
して音楽活動をします。

プロのシンガーソングライターとして、
大手レーベルとの契約を果たします。

しかし、その契約が破棄されたことを
きっかけにロックバンドの活動に
打ち込むようになります。

9年間バンド活動をしましたが、
2001年にバンドは解散します。

その後、もの作りの道に進むことに
なるのです。

バンド活動からいきなりもの作りの
分野に転向しますが、
もの作りに関する技術の習得方法が
また独特です。

なんと、町工場への飛び込みをする
ことにより独学で設計や製造、経営
を身につけます。

2003年にバルミューダ株式会社の
前進である、
有限会社バルミューダデザインを
設立することになります。

さて、寺尾玄さんの基本的な
プロフィールを見てきましたが、
出身高校やロックバンドの気になる
噂についても調べてみました。


 

出身高校や中退の理由は?


寺尾玄さんの出身高校について
調べてみたのですが、具体的な高校名
は出てきませんでした。

寺尾玄さんは、茨城県龍ケ崎市の
ご出身なのでもしかしたら、茨城県内の
高校である可能性が高いです。

また、高校を中退してスペイン、
イタリア、モロッコなどの南欧へ旅に
出た理由についても調べました。

寺尾玄の両親は二人とも、かなりの
自由奔放な人だったそうです。

父親はハイリスク・ハイリターンの
洋ラン栽培を生業としており、
ある日スーパーに貼ってあったチラシ
を見て、思い立って陶芸を習い始め
1ヶ月で習得し商売にしたそうです。

寺尾玄が小学生5年の時に両親が離婚
しています。

洋ラン栽培での収入の不安定さが
要因だったようです。

母親は子供達と離れ、
実家に出戻りしています。

仕事でアメリカへ行き、こちらもまた
思いつきで、半年程、大学の聴講を
していたようです。

帰国の途中、ハワイに立ち寄り
泳げないのにシュノーケリングに
挑戦し、命を落としています。

寺尾玄が中学2年の時でした。

この一風変わった両親は、
寺尾玄がまだ幼い頃から

「お前は違う」

「人と違うのだから、
 同じことをしてはダメ」

「常識を疑え」

と言い続けて子育てをしており、
この教えが寺尾玄の人生の
根幹となっているのでしょう。

寺尾玄が高校中退することを決心した
のは、高校2年生の頃です。

高校2年生には、文理選択があり
文系と理系で学習内容や進路を区別
されるのが日本の教育のシステムです。

寺尾玄さんは、この文理選択を強く
拒否したのです。

高校2年生というとまだ17歳です。

若く、とても大きな可能性があります。

日本においては文理選択をすると
将来の道筋がほとんど決まってしまう
というのが現状です。

文理選択をして、わざわざ将来の可能性
を狭めてしまうことは不合理だと
考えた寺尾玄さんは、出身高校の中退を
決意しました。

「早くやめて、1年間くらい
お前の好きなところに行ってこい」

という父親の後押しもあり、
自分を磨くために地中海沿いの国々へと
放浪の旅へと出ることになります。

 

プロシンガーゾングタイターとして契約?ロックバンドは?


旅を終えて帰国した寺尾玄さんは、
音楽の道を志すこととなります。

といっても、過去に音楽経験があった
わけではありませんでした。

にも関わらず、ギターを始めて
1ヶ月を経たずして
大手レコード会社との契約が
あっさり決まってしまいます。

メジャーデビューも決まり、
実際にレコーディングも終わって
いましたが、
出資していたスポンサー会社が倒産して
しまったため、
メジャーデビューの話は流れることに
なります。

しかし、この契約破棄をきっかけに
寺尾玄さんはさらに音楽に打ち込んで
いくことになります。

そうして結成したバンドが、
「Beach Fighters」です。

バンドはインディーズとして活動し、
徐々に人気を得ていきます。

しかし、バンドの中心メンバーであった
ドラマーの突然の脱退をきっかけに、
寺尾玄さんはミュージシャンとしての
道をあきらめることになりました。

 

 

ベンチャー企業【バルミューダ】のサクセス!

 


ここまで、バルミューダの社長である
寺尾玄の出身高校やバンドなど、
気になる経歴について
まとめてきました。

次は、ベンチャー企業として
バルミューダ株式会社がどのような
サクセスストーリーを歩んできたのか
まとめていきたいと思います。

 

ゼロからのもの作り X-Baseの開発


寺尾玄さんは、9年間音楽活動をずっと
続けてきました。

2001年にバンドが解散し、もの作りの
道に進もうと志した時には、
もの作りに対する知識はゼロでした。

寺尾玄さんはもの作りにおける知識を
ゼロから独学で学ぶことになります。

そんな寺尾玄さんに救いの手を
差し伸べたのが、
東京都小金井市にある春日井製作所
でした。

電話帳を頼りに様々な工場に電話を
かけていた寺尾玄さんですが、
案の定ほとんど相手にされることは
ありませんでした。

そんな中、快く手を差し伸べたのが
春日井製作所だったようです。

もの作りの素人だった寺尾玄さんですが
その熱意と行動力で春日井製作所の
職人の心を動かすことになります。

その日をきっかけに寺尾玄さんの
工場通いが始まることになるのです。

修業を始めた1年後には、
PCの冷却台である、
『X-Base』を完成させます。

その他にも、デスクライトである
『Highwire』など
デスク周辺の製品を開発しました。

その高いデザイン性で、
ユーザーから高い評価を受けました。

しかし、リーマンショックをきっかけに
経営不振に陥ることとなるのです。


 

経営の転換とトースター通販


リーマンショックにより、
製品が売れなくなったバルミューダ
ですが、
このことが経営の方向性を大きく
変えることになるのです。

現在バルミューダは、『GreenFan』など
エコをモットーとした、扇風機や
加湿器、空調などを製造しています。

また、バルミューダのトースターが
大人気になるなど幅広くヒット商品を
作っているのです。

特に、バルミューダが販売する
トースター、
『BALMUDA The Toaster』は、
「世界一高いトースター」とも
言われています。

お値段なんと、約25,000円です。

にも関わらず、予約が多すぎて
生産が追い付かない状態らしいです。

バルミューダのトースターは、
寺尾玄さんがスペイン南部のロンダ
という小さな町で食べたパンの美味しさ
に感動したという経験から
開発されました。

現在の消費者は、モノよりも
より良い体験にお金を払う
という寺尾玄さんの気づきが
今回のヒットの勝因だ
と言われています。

さて、今回はバルミューダ株式会社の
社長、寺尾玄さんの出身高校や
ロックバンドなどの気になる噂について
まとめた後、

バルミューダの成功ストーリーについて
も見てきました。

世界一高いトースターを大ヒット商品に
導いた、
バルミューダの姿勢や
寺尾玄さんの生き様からは、
色々なことが学べるのではない
でしょうか

mick

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