34年も前の松橋事件に冤罪の判決が
下りました。
この冤罪判決により、
当時の警察官の捜査方法や検察の
証拠隠しに疑問の声が挙がっています。
また、
真犯人は未だに判明していません。
松橋事件の詳細と冤罪判決!
1985年に男性が何者かに刺され、
亡くなった姿で発見された
「松橋(まつばせ)事件」。
当初、有罪とされた、現在85歳となる
宮田浩喜さんの再審が2016年から
行われ、2019年3月28日に、
冤罪だったという判決が下りました。
記事前半では松橋事件の詳細と、
冤罪判決に至るまでの過程を
追います。
今回の冤罪判決で当時、
唯一の証拠とされた宮田浩喜さんの
自白が警察官から強要された
嘘の自白であった事が判明しました。
また、松橋事件の真犯人は未だに
判明していません。
記事後半では、
冤罪事件を作り上げてしまった
警察官の捜査方法と検察の証拠隠しと、
真犯人について迫って行きます。
「松橋事件」とは?
1985年、熊本県の松橋町で刺された
痕跡のある59歳の男性の遺体が
住宅内部から発見されました。
警察官が捜査を進め、熊本市の
宮田浩喜さん(当時、51歳)が
逮捕され、懲役13年の刑を受ける事と
なりました。
この事件では物的証拠は無く、
証拠は宮田浩喜さんが取り調べで
述べたとされる自白のみでした。
この自白で、宮田浩喜さんは、
自分のシャツの袖を切り取り、
小刀で刺したとされていました。
更に、
切り取ったシャツは犯行後に
燃やされた事になっていました。
松橋事件の冤罪判決までの経過!
宮田浩喜さんは無実を訴え続けました。
自白は嘘を強要されたとも
述べていました。
裁判所はこの自白を信用ある内容と
判断して、有罪判決を下しました。
しかし、
この自白に近年、綻びが生じました。
弁護団が検察に証拠開示を求めた所、
燃やされたとされるシャツの一部が
残っていたのです。
また、
凶器とされた小刀の大きさが被害者の
傷と合わない事が判明しました。
2012年に弁護団は再審を要求し、
2016年に再審が行われました。
そして、
2019年に宮田浩喜さんに冤罪判決が
下りました。
宮田浩喜さんは脳梗塞の後遺症と
認知症を患っていた為に、
高齢者施設で床に臥せながら、
今回の冤罪判決を聞きました。
50代からの人生を、
冤罪の苦しみの中で暮らし続けた
宮田浩喜さん。
冤罪判決が確定したとしても、
その人生が取り返せない事を考えると、
やるせない気持ちになります。
松橋事件に関する警察官と検察官の責任!真犯人は誰?
松橋事件の冤罪に関して、
責任があるのは当時、捜査をしていた
警察官と決定的な証拠を隠していた
検察にあります。
また、
冤罪が確定した今、真犯人は別にいると
考えられます。
次は、
警察官と検察の今回の事件の責任と
真犯人について迫って行きます。
松橋事件に関しての警察官と検察の責任!
今回の冤罪を招いた原因は
警察官と検察にその責任が
あります。
警察官は取り調べ段階での
虚偽の自白強要。
検察は、その自白が虚偽と証明出来る
証拠品を意図的に隠蔽していた事です。
今回の最高裁の冤罪判決では、
検察側への検証は裁判官独立の侵害を
理由に行わないとしました。
各種メディアやネット上では、
今回の件を受けて、検察への厳密な
検証と警察官による取り調べの透明化が
叫ばれています。
松橋事件の真犯人は不明!
今回の冤罪判決によって、
松橋事件には真犯人がいる事が
判明しました。
しかし、真犯人は未だに不明です。
ネット上では、
「亡くなっている。」
「高齢者施設に入っている。」
等の噂がありますが確実な事は
わかっていません。
事件から時間が経ち過ぎてしまった為に
今から真犯人を探すとなっても、
関係者が亡くなっていたり、
宮田浩喜さん自身からも当時の話を
聞ける病状では無いので、
特定は難しいと考えられます。
まとめ
今回の冤罪は、当時の捜査技術が
今と比べて劣っていた為に起こった
物では無い事がわかります。
警察の自白強要、検察の証拠隠し、
これ等が重なって起きた、避ける事が
出来た冤罪だったと言えます。
RuRuhase
<参考サイト>
朝日新聞
西日本新聞
NHK NEWS WEB