フランス、パリのノートルダム大聖堂で
大火災が発生しました。
ノートルダム大聖堂とはどういった
特徴を持った建物なのでしょうか?
日本にある同じ名を冠した学校との
関係は?
渦中のノートルダム大聖堂について
迫ってみましょう。
パリ、ノートルダム大聖堂の特徴!火災の様子は?
フランスパリに所在している、
ノールダム大聖堂で火災が起こり、
尖塔等が焼け落ちました。
長い歴史を持つこの建築は
名前は知っているけど、
その特徴は知らないという人は
結構、多いかと思われます。
また、日本では同じ名を冠する
学校があります。
そんな、ノートルダム大聖堂の特徴や
日本の学校との関係、今回の火災に
ついて触れて行きます!
パリ、ノートルダム大聖堂の特徴!
パリのノートルダム大聖堂は
12世紀から建設が始まりました。
パリの中心地とされるシテ島に
立てられ、ゴシック様式の
特徴を持ちます。
フランス革命で一部倒壊を受け、
荒廃しましたが、皇帝ナポレオン1世の
載冠式やヴィクトル・ユーゴ―の著作、
「ノートルダム・ド・パリ」に登場し、
その後、再びその価値が見直され、
修復されました。
現在ではユネスコの世界遺産に
登録されていた建築物でもあります。
第二次世界大戦で、
ナチスドイツに占領された際も、
戦火で消失しなかった建築物としても
有名です。
しかし、今回、
大炎上する事になったのは、
大変残念だと言えます。
その原因や規模は、
どの程度だったのでしょう。
ノートルダム大聖堂の炎上!原因と被害規模!募金へ!
ノートルダム大聖堂の火災は
尖塔が焼け落ち、全体構造は
かろうじて死守されましたが、
甚大なダメージを受けました。
原因は現在、行われていた建物の
改修工事にあったと推測されて
います。
人的被害は消防士が1人、
重傷を負っています。
他に火災による被害者は
いないとされています。
犠牲者がいないのは
不幸中の幸いだと言えます。
建物内の重要な美術品等は
全て救出されました。
鎮火に時間がかかったのは、
建物の構造上、放水が届かなく、
上空から放水をした場合に崩落する
可能性が高い個所があった為です。
火災を見たパリ市民のショックは
大きく、以下の様な声が出ています。
「私達の文明のシンボルが燃えている」
「痛みを感じる」
「永遠にある物だと思っていた」
フランスのマクロン大統領は
当初の予定を変更し、
国際的な募金活動を行う事を
発表しました。
ノートルダム大聖堂が
フランスにとってかなり重要で
文化に根差している事がわかる
市民の声と発表だと言えます。
ノートルダム大聖堂と日本の学校との関り!
ノートルダム大聖堂は、
フランスにある建築物です。
しかし、
日本には同じ名を冠する学校が
あります。
関わり合いはあるのでしょうか?
ノートルダム大聖堂と日本の学校の関り!
日本の京都府京都市には、
ノートルダム学院小学校
ノートルダム女学院中学・高校
京都ノートルダム女子大学
という名の学校があります。
一見すると、
ノートルダム大聖堂と関連があるのかな
と思ってしまいますが、
あまり関連はありません。
上記の学校は、
1954年にアメリカ合衆国から来日した
ノートルダム教育修道女会と
京都市民により建てられました。
元々、ノートルダムとは、
我らの貴婦人、つまり聖母マリアの
事を指します。
それ故に、
ノートルダムという名を冠している
だけでは、ノートルダム大聖堂との
関りはあまり無いと言えます。
まとめ
かなり歴史的に重要な、
ノートルダム大聖堂の火災は、
パリ市民だけでなく、フランス国民、
それどころか世界の人々にショックを
与えました。
募金が始まったら国に関係なく、
再建の為の募金が世界中から集まる事が
予想されます。
RuRuhase
<参考サイト>
日本経済新聞
朝日新聞
産経新聞