阿川佐和子さん(あがわさわこ)は
報道や情報番組では
欠かせない存在ですね。
頭脳の切れているキャスターぶりには
惚れ惚れします。
阿川佐和子さんの若い頃が
話題になっています。
阿川佐和子さんが
結婚しない理由についても
調べて見ますね。
それから、阿川佐和子さんが
亡き父のことを書いた
【強父論】を紹介致します。
阿川佐和子さんについて
一つずつ考察して見ますね。
(以下、敬称略)
阿川佐和子の若い頃は!?
阿川佐和子の若い頃について
見ていきましょう。
まずは、阿川佐和子の人物紹介を
致しますね。
名前、本名共に同じで阿川佐和子。
1953年11月1日生まれで現在62歳。
東京都出身です。
若い頃から、美人キャスター、
タレントとして有名です。
阿川佐和子といえば
テレビ朝日系「ビートたけしの
TVタックル」の司会を
長く務めていましたね。
それから、週刊誌などの対談も
長期連載をしています。
特有の話し方と聞き上手な態度は
芸能界でも優れていると高い評価を
得ています。
阿川佐和子の若い頃の活躍が
話題になっています。
阿川佐和子は以前、織物職人を
目指していたそうです。
ところが、1981年にTBS系
「朝のホットライン」で取材記者を
務めてから、様々な報道番組に
助手、キャスターとして
従事するようになりました。
その後も数々の報道番組で
キャスターを務めています。
「ビートたけしのTVタックル」では
大物政治家や有名な評論家が
熱気に満ちあふれた議論を
していますが、仕切っているのが
阿川佐和子です。
司会者として番組を仕切る能力も
話題になっています。
阿川佐和子は、若い頃から
報道番組やバラエティ番組で
活躍していて今後も多用な
阿川佐和子を見ることができそうです。
結婚しない理由
阿川佐和子が結婚しない理由について
見ていきましょう。
阿川佐和子は、結婚しない理由は
結婚ができなかったようです。
「結婚してもいいと思う相手には
断られる」
と阿川佐和子は言っていました。
阿川佐和子は、過去にお見合いを
30回したことがあるようです。
お見合い相手で結婚したいと思う
男性とは結婚まで話が進まなくて
交際相手とも結婚まで話が
進まないことが何度もあったそうです。
阿川佐和子は美人なのに、なぜ
結婚できなかったか不思議です。
阿川佐和子は、子供の頃から
結婚願望が強かったとも
言っています。
現在、阿川佐和子はもう子供が
産めないので70歳80歳になっても
友達のような関係ができる相手を
選ぶと言っています。
ステキな友達の男性と
巡りあうと良いですね。
父の事【強父論】がスゴイ!
阿川佐和子の父親は阿川弘之で
大ヒット作がある人気作家です。
阿川佐和子は、父親ので影響で
エッセイストになったようです。
阿川弘之は2015年8月3日に
94歳で老衰のため
他界されています。
医師からは「大往生」と
言われたそうです。
父親の一周忌を期に阿川佐和子は
【強父論】(きょうふろん)という
本を出しました。
父・阿川弘之との62年間を
振り返っています。
本の内容を少し紹介しますね。
阿川佐和子が4歳の時
「イチゴを生クリームで食べたい」と
言っただけで
「なんという贅沢子だ!ふざけるな!」
と怒鳴られます。
以来、罵倒される日々が続きます。
「勉強なんかするな!学校へ行くな!」
女の子は勉強よりも、
家で美味しい料理を作れという
主義でした。
大学の試験の最中でも父の
お酌をしないと父は不機嫌でした。
阿川佐和子が少し口ごたえをすると
「子供に人権はないと思え!
文句があるなら出て行け!
どこかで消えようが女郎屋へ
行こうが俺の知っちゃことじゃない」
と激しく怒るのが父の口癖でした。
元気な頃の父は
「老人ホームに入れたら
自ら命を絶つ」と
繰り返していました。
足腰が弱ってきたから嫌々ながらも
老人病院に入院しましたが
入院中でも「すき焼きが食べたい」
「ワインが飲みたい」と
ワガママ放題言っていました。
今の時代では、ほとんどいないと
思われる怖くて強い父親ぶりが
たっぷりと描かれています。
父が年寄りになっても
阿川佐和子が優しく父に
接していたのは、怖くて強い父に
育てられたからだと
言われています。
まとめ
阿川佐和子は若い頃から全く
変わりなくきれいな女性です。
「TVタックル」での議論を
仕切って流れを進めている姿は
ハキハキしていて格好良いですね。
阿川佐和子の父親は、昔ながらの
頑固で厳しく強い男性でしたね。
阿川佐和子が結婚できなかった理由には
父親の存在も
あったのかもしれませんね。