ロヒンギャ族が日本にも定住だと!?迫害の理由とイギリスの歴史上の責任とは?

ミャンマーのロヒンギャ族が日本にも
難民として定住しているとの話がある。

今回の記事では、そんなロヒンギャ族が
迫害されてきた理由や、イギリスの
歴史上での責任とは一体何なのか
迫って行くとしよう。

 

ミャンマーのロヒンギャ族とは?日本にも定住!?

 


現在世界規模での問題となって
いるロヒンギャ族問題。

実は、そのロヒンギャ族問題は
日本においても全く他人事な
訳ではない。

実は、ここ日本でも何人かのロヒン
ギャ族が定住をしていると言うのだ。

では、そんなロヒンギャ族とは一体
どんな民族で、日本のどこに定住をし、
どのような立ち立場で定住をして
いるのか見て行くことにしよう。

ロヒンギャ族とはミャンマーの
北西沿岸部のラカイン州と言う場所を
拠点とする民族で、その宗教は
イスラム教である。

ミャンマーの国は殆どが仏教徒であり、
その意味ではロヒンギャ族とは
マイノリティ民族という事になる。

そして、実はこのロヒンギャ族とは
ミャンマー政府においては正式な
原住民族と見なされていなく、
寧ろその逆の迫害すべき対象として
見なされているのである。

ロヒンギャ族の歴史的な背景とは
一体何かと言う事は後述するとして、
今現在もミャンマー政府としては
ロヒンギャ族を認めずバングラデシュ
から渡って来た不法入国者の
烙印を押している。

従って、ミャンマー政府は国籍を
ロヒンギャ族に与えていない
という有様である。

ミャンマー内では、ロヒンギャ族に
対してヘイトスピーチや実力行使
によって排斥する動きが激しく、
その様な国を含めての圧政に耐えられ
なくなったロヒンギャ族達はボートを
使っての国外逃亡を決意する事に。

しかし、ミャンマー政府が国籍を
一切ロヒンギャ族に与えていない事から
国際的に見てロヒンギャ族とは
無国籍の存在なのである。

こうなると、他国としても正式な
難民として受け入れる事が難しく、
ロヒンギャ族は今も密航を繰り返し
名も無き難民として不法に滞在
せざるを得ない状況なのだ。

大半は近隣の東南アジア諸国に
国外逃亡をしたのだが、実を言うと
一定数のロヒンギャ族は日本にも
国外逃亡をしたと言うのだ。

日本にやって来たロヒンギャ族の
人数は230名と言われ、その9割の
人が群馬県の館林市に定住を
しているとの事。

その理由は日本に早い段階で
やって来たロヒンギャ族がこの
群馬県の館林市でコミュニティを
形成し始めたからである。

つまり、日本にやって来たロヒン
ギャ族達は真っ先に仲間達のいる
群馬県の館林市を目指そうと言う
事になる訳だ。

そんな日本でのロヒンギャ族だが
半数以上は正式に日本政府から難民
認定をされてはいるが、中には
未だに難民認定をされていない
人もいる様である。

ミャンマー政府が認めていない
ロヒンギャ族の難民認定に
関しては、殊更国際的な事情が
入り込まざるを得ないので、
難しい側面もあると言う事か。

また、ロヒンギャ族はミャンマー
政府から国籍を与えられていない
と言う理由から、還る場所が無く
強制送還もしようが無い為、
その様な人々はノータッチの状態に
せざるを得ないのである。

事態は想像以上に複雑なのだ。

 

ロヒンギャ族の迫害理由とイギリスの歴史上の責任とは?

 


では、ロヒンギャ族は一体なぜ
ここまで迫害をされているのだろうか?

この激しい迫害の理由は何なのか
見て行くと同時に、イギリスの歴史上の
責任に関しても合わせて確認しよう。

ロヒンギャ族がここまで迫害を
される理由を一言で言うならば、
歴史的な対立が乗っかった
宗教対立と言う理由だ。

どう言う事かその迫害理由を
詳しく見て行くとしよう。

そもそもロヒンギャ族は15世紀に
イスラム教の国であるバングラデシュ
から国境を越えて今のミャンマーの
地にやって来た。

そして、時は19世紀、イギリス含め
欧米諸国が世界の覇権を獲得する為に
海外に出向き、アジア国家を植民地化
していた時代に、ミャンマー(ビルマ)
はイギリスによって植民地にされた。

その際に、イギリスはミャンマーの
多数派であった仏教徒の地をイスラム
教徒達の農地として使う事を決定。

そこから、ミャンマーの仏教徒と
ロヒンギャ族の対立が始まり、
第二世界大戦でも仏教徒は日本、
ロヒンギャ族はイギリスの側に
就いて対立を深めた。

そして、第二世界大戦が終結後、
ミャンマーでは軍事クーデーター
が1960年代に発生。

その時の軍事政権が、ロヒンギャ族
と同じ土地に定住していた多数派の
仏教徒の民族の肩を持つ為に、
ロヒンギャ族の国籍を剥奪。

そして、その対立は宗教感を
強めながら今尚続いている。

これがロヒンギャ族迫害の歴史的な
背景を基とした理由だ。

そして、この対立の歴史のきっかけを
作ったのはある意味イギリスとも
取る事が出来、歴史上の責任が
イギリスにあるのでは無いのか?
と考える事が出来る。

 

イギリスの歴史的責任としては、
植民地支配をするにしても分割
支配をしなければ、仏教徒の
土地をロヒンギャ族に譲渡
しなければ・・・

実際、イギリスの歴史上の
責任を問う声は大きい。

イギリスが仏教徒とロヒンギャ族の
バランス関係を無理やり崩して
しまった責任。

事態はかなり深刻なのである。

<参考>
//www.huffingtonpost.jp/2017/01/31/rohingya-at-tatebayashi_n_14510338.html
//matome.naver.jp/odai/2143357861334995701
//yukashikisekai.com/?p=38344

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