細川護煕と嫁の現在!息子はニートで悪評?娘は国際結婚で料理研究家?家族の事をマルっと調査!

1993〜1994年まで
第79代内閣総理大臣だった
細川護煕(ほそかわもとひろ)氏。

父親は関ヶ原の戦い等で活躍した
細川忠興(ほそかわただおき)氏の子孫で
細川護煕氏は「お殿様」と呼ばれている。

政界退職後の細川護煕氏と嫁さんの
現在が気になる。

息子さんがニートで悪評とは
どんな意味かを見ていく。

娘さんは国際結婚をしていて
料理研究家のようだが実際のところを
確認する。

今回は細川護煕氏の家族の事を
マルッと調査してみる。

(以下、敬称略)

 

 

細川護煕と嫁の現在!

 


まずは、
細川護煕と嫁の現在を見ていく。

元首相細川護煕は、政界引退後
陶芸家として活躍しているようだ。

現在は、神奈川県の湯河原に自宅を
構えて「不東庵」という工房茶室を
設立しており本格的だ。

細川護煕の師匠は、奈良県の山奥で
陶芸作製をしていて国内だけではなく
海外でも名高い陶芸家の辻村四郎だ。

細川護煕は、個展や展覧会を
開いていて独特な作品が多いので
神奈川近辺の方には、是非
細川護煕の作品を見てもらいたい。

他には、1999年から3年ほど
ラジオのパーソナリティも
務めていた。

今現在の細川護煕は
政界にいた時よりも穏やかに
暮らしているようだ。

嫁の細川佳代子は、現在
スペシャルオリンピックス
日本名誉会長をしている。

スペシャルオリンピックスとは、
知的障害がある人たちに
スポーツを通じて自立目的と
社会参加を応援している
世界的な活動を指す。

それと同時に、NPO法人
「世界の子どもにワクチンを」
の日本委員会代表も、現在努めている。

嫁は、細川護煕が政界にいた頃から
ボランティアに力を入れている事で
有名だった。

それから嫁は、アイドルグループの
ミュージックビデオに出演して
歌を披露したこともある。

画像を見たが、美人な女性。

首相の嫁とは、
夫の側に寄り添っているイメージだが
細川護煕の嫁は、
とても活発な女性だったようだ。

現在、細川護煕は陶芸家で
嫁は世界的なボランティア活動をして
過ごしている。

息子はニートで悪評!?
娘は国際結婚で料理研究家

 


細川護煕の家族の話が進行しているが、
登場人物を確認しておくと、
細川護煕と嫁、
細川護煕の息子夫婦と娘夫婦、孫娘、
の合計7名である。

ここからは、細川護煕の息子がニートで
悪評が立っていると言うが、
真偽の程をを見ていく。

細川護煕の息子の名前は
細川譲光(ほそかわもりみつ)。

細川護煕の息子は、昭和47年生まれで
現在、45歳前後である。

東京で産まれたのち両親と
熊本市に引っ越しをした。

悪評の基となったのは、
この細川護煕の息子の経歴であろう。

中学を卒業後アメリカの高校、大学へと
進んだ細川護煕の息子は、
大学1年生の時に日本に帰国して
東京の大学に編入している。

ところが、
「昔から、学校という場所が苦手」
という理由で悩んだ末、大学を
中退している。

息子は、大学中退後写真の専門学校へ
行ったり、数々のバイトをして
貯金で放浪の旅でインドへ行ったりと
自由奔放な生き方をしていた。

阿蘇の鉱山で過酷なバイトを
していたこともあったようだ。

自由奔放と言えば聞こえは良いが、
悪評通りに言えば、良い所のボンボンで
甘ったれといった感じだろうか。

因みに、日本でのニートの定義は、
15歳~34歳までの労働していない者
の事であり、勉学中の者や、
家事手伝いの者などは、除外される。

掘り下げれば、全く家事をしない嫁も
この定義ではニートだと言えるし、
35歳を超えた該当者は、
ニートですら無い事になる。

話を息子に戻そう。

定職に就かずバイト生活を続けており
悪評通りニート、とまでは行かないが
フリーターだったと言えるだろう。

両親共に上智大学の卒業生で
父親の細川護煕が総理大臣を
務め上げ、政界の後継を、
との期待とは裏腹な道を進んでいた。

おぼっちゃま育ちだったであろうと
思われる息子は、その自由奔放さから
ニートに近いと悪評を買ったようだ。

とは言え、細川護煕の息子、護光も
戦国時代の知略家で知られる、
明智光秀も末裔であり、その遺伝子は
残っているだろう。

息子の現在は、
父親の細川護煕と同じく陶芸家として
熊本市を拠点とし、活躍をしている。

国内の様々な地で個展を開き
ニート呼ばわりの汚名を返上し
世間の評価も、
悪評から好評へと変わっていった。

 

 

娘は国際結婚で料理研究家!?


娘は国際結婚で料理研究家であるのかを
見ていく。

細川護煕には、娘が2人いるが
次女の裕子は国際結婚をしていて
夫はフランス人の男性だ。

娘・裕子の夫、フランス人男性について
婿養子なのか、仕事や家同士の付き合い
等々の、詳細は掴めなかった。

因みに、フランス人男性と日本人女性が
国際結婚をした場合の国籍は、
其々の元々の国籍を維持継続する様だ。

お国によっては、先方の国の法律で、
日本人女性が国際結婚した場合、
先方の国籍を自動的に所有する事に
なるようで、二重国籍を禁じている
日本で暮らすには、
色々と手間がかかる様だ。

そして、料理研究家の件であるが、
調べによると、次女である
娘・裕子は料理研究家ではなく、
息子の嫁の方が、料理研究家だった。

息子の嫁は現在、熊本市で
「カメリア」という料理教室を開催し、
料理研究家としてイタリア料理の本を
多数出版しているという凄腕のようだ。

纏めると、
娘・次女はフランス人男性と国際結婚し、
息子は現在、陶芸家で
息子の嫁が料理研究家だった。

息子夫婦には、娘がいるようで
細川護煕にとっては孫娘である。

さぞ、可愛がっている事だろう。

一方、長女ついての情報は
全く得られなかったが、
細川護煕の賑やかな家族の一員であり
何かインパクトのある経歴を
お持ちであるような期待感があり
いつか明らかになる事を待望する。

そして、
父親と息子2人が同じ陶芸家として
活躍していることは素晴らしいと感じる。

まとめ

 


細川護煕は
1938年(2017年7月現在)生まれで現在
79歳だが政界を引退し、
安穏とした生活を送っている様だ。

熊本県知事選に於いては全国最年少の
45歳という若さで当選しているが
細川内閣は1年ほどで解散したことが
残念に思われる。

嫁とは、同じ上智大学在学中からの
長い付き合いという点が微笑ましい。


 

おすすめの記事