岡田有希子とマネージャーの真相に新事実!?持ち去られた資料とは?

岡田有希子さんは、デビューした時に
可愛い子だなぁと思った印象が
あります。

1984年同期には、荻野目洋子さんや
菊池桃子さんがいます。

売れっ子アイドル誕生の年代ですね。

岡田有希子さんは、順調に売れだして
人気絶頂の時に突然、あの世へ
逝ってしまいました。

悲しみにくれるファンが沢山いました。

岡田有希子さんとマネージャーの真相に
新事実が出ていると噂になっています。

それから、持ち去られた資料に
ついても調べてみました。

岡田有希子さんについて
一つずつ見ていきましょう。
(以下、敬称略)

 

 

岡田有希子とマネージャーの真相に新事実!?

 


岡田有希子とマネージャーの真相に
新事実があるとされていますが、
まず最初に岡田有希子の人物紹介を
致します。

岡田有希子は1967年8月22日生まれで
本名は、佐藤佳代(さとうかよ)です。

愛知県一宮市生まれで名古屋市育ち。
アイドル歌手で女優でした。

1986年4月8日に18歳という若さで
自ら命を絶ってしまいました。

当時、報道がすごい勢いで
岡田有希子のことがテレビでは
流れていました。

私自身も今でも岡田有希子のことは
忘れていません。

岡田有希子が、もういないので
その真相は
「永久にわからない」
「躁鬱が酷かった」
「悩みも自分で背負いこむ性格だった」
そして、
「峰岸徹への恋愛感情と破局」
と憶測されています。

岡田有希子のマネージャーをしていた
溝口は、愛知県から上京してきた
高校1年生の岡田有希子を駅で
出迎えています。

岡田有希子のデビューまでと、
その後の活躍、最後の瞬間を
見届けています。

衝撃的な偶然です。

普段は内気な岡田有希子は
負けん気の強さもあって
自分自身に厳しく、何事も真面目に
取り組んでいたとマネージャーは
話しています。

純粋で妥協を許さない一途な性格に
不安があったとも話しています。

このマネージャーの不安は
的中してしまいました。

岡田有希子は、1度目にガスであの世へ
逝こうとしますが本気では、
なかったと考えられています。

しかし、事が大きくなってしまい
自分は「もう終わり」と
思い込んでしまい、勢いが災いして
あの世へ逝ってしまったと
真相の新事実が出ています。

岡田有希子の母親も明確に
「あの世へ逝く」と理由などを
残していなかったと真相を
話しています。

岡田有希子を担当していた
溝口マネージャーは、
2000年7月19日、岡田有希子が
あの世へ逝ってから14年後に事務所の
岡田有希子が最後に
立ち寄ったトイレ内で
自ら命を絶っています。

岡田有希子を救えなかったことを
ずっと悔やんでいたのかもしれません。

糖尿病が原因とも言われていますが、
真相は謎です。

 

 

持ち去られた資料とは?

 


持ち去られた資料とは何でしょうか?

調べてみたところ資料は、
見当たりませんでした。

発表もされていないのですから、
ネット内を彷徨っても当然、
見つかるのは創作や妄想ばかりです。

岡田有希子は、あの世へ逝く前に
遺書を準備していました。

茶封筒の中にキャラクター模様の
便箋が3枚という、少女らしいもの
だったようです。

そこには、峰岸徹の名前が
書かれていて、岡田有希子が病院に
搬送された後に警察官によって
発見されたと、言われています。

葬儀の翌日に遺書は、岡田有希子の
父親が警察官から受け取ったそうです。

事務所の金庫に納められている
というのは、資料でも遺書でもなく
岡田有希子が常日頃書き綴っていた
「日記」のノートです。

「資料」で調べて見ましたが、やはり
…自分が集めた資料によると…
という感じで岡田有希子の記事が
載っていました。

この一件では、お決まりの陰謀説など、
未だに尾ひれが増え続けています。

神田正輝、松田聖子、石原裕次郎
などの名前が並び、ファンの後追いの
人数も300人にまで膨れ上がりました。

確かに当時、後追いの現象は大いに
話題になってはいましたが・・・。

 

まとめ

 


岡田有希子のことは、本当に
ショッキングでした。

何年経過しても忘れないでしょう。

岡田有希子は、男性と交際を
したことがなかったそうです。

ですから、共演した峰岸徹に
淡い恋心を抱いてしまって真剣に
悩んでしまったのでしょうか?

恋愛したい時期の16〜18歳に
アイドルとしてお仕事をしていて
恋愛できなかったとしたら、
そんな岡田有希子を切なく思います。

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