教育困難大学のあまりにもひどい状況とは?どこ?大学名リストと偏差値をチェック!!

大学名に関係無く、学生として質が
あまりにもひどい学生が多い大学を
「教育困難大学」と呼ぶ。

教育困難大学の学生は
偏差値のリストを眺めて進路となる大学
をどこにするか選ぶといった主体性が
無い上に特にやりたい事も無く、その上
教授にも敬意が無い。

こうした学生は高校教師にも入学先の
教授にもお荷物となる事が多く、
志望校に落ちて尚意欲を持つ学生にも
良い影響を与えるとは言い難い。

 

大学名が公になったら最後?あまりにもひどい学生の多い教育困難大学とは?

 


昔から、大学への進学者とは進学校から
広くその大学名が知れ渡っている進路先
に進む学生ばかりでは無く、まだ社会に
出るには早いと考えているような、
あまり勉学とは縁のない学生も多く
含まれていた。

しかしあまり勉学とは縁がない学生でも
その大学名があまり知られていない所で
あったり、また、今あまりにもひどいと
問題になっている「教育困難大学」に
入学する事になる可能性がある事は
判っていようと、
それなりに自分に合う大学と学科を
選んで受験勉強する事は普通だった
筈なのだ。

だが、そもそも教育困難大学が出て来る
背景には、志望者達のあまりにもひどい
心がけがまず挙げられる。

いわゆる進学校以外から
大学名に関わらずに大学に進学する場合
推薦入試或いはAO入試の為に高校3年の
1学期から準備が始まって2学期中には
少しずつ大学合格者が決定する。

しかしその段になって、上記の学生とは
別に、いわゆる
「教育困難大学のあまりにもひどい学生
予備軍」となる生徒は進路指導の担当の
教員に身内に頼み事をする様な調子で
進学の意思を口にする。

進路先を大学名のブランドで選べる立場
とは違うにも関わらず、である。

やりたい事や努力の跡も無い状態からは
その大学名が知れ渡っている所への進学
は難しいのは当然で、そのあまりにも
ひどい意識をもって大学名と学部名を
選ぶ事になる。

しかし今の時代「教育困難大学」という
言葉は問題になって来ているので、色々
マメにその手の情報だけは準備するとも
考えられる。

当然ながら大学側の特色とは無縁な所で
判断して進路を決定し、仮にも学科を
選んで勉強するに当たって意識を変える
事とは無縁のうちに大学生活をスタート
させる学生が大挙入学する結果となり、
これが大学名に関係なく教育困難大学が
増えた過程だ。

こうした学生は、何せ志望動機書すら
高校の進路指導担当に丸投げして準備を
したので、生活態度も先生を親と一緒と
考えている所があまりにもひどい。

このあまりにもひどい意識の
教育困難大学の学生が増え、教授に対し
キレる事もあり、この様な学生の質の
低下の原因とは大学が多くなり過ぎた
事だとの声ともある。

しかしながらどこの大学が教育困難大学
だというのだろうか?

 

偏差値リストでどこの大学に行くかを決めたのは今は昔!教育困難大学が変わる一つの方法とは

 


1980年代に社会問題となった校内暴力の
時代の様に、どこの大学が酷いという
口コミが広がる形で教育困難大学を特定
してそのリストが閲覧出来る状況では
無いので、
いわゆる「教育困難大学リスト」は
存在しない。

しかし偏差値でまとめる「輪切り」や
リストでまとめればFランク大学が
どこかはすぐに特定出来る。

だが大学の偏差値がどうあれ、
何を学びたいかきちんと目標を持つ
学生が集まれば、どこの大学でも
教育困難大学のレッテルを貼られる事も
無い筈である。

だが大学生の年代ともなると、親元を
離れたどこかで生活を始める事にもなる
ので、生活の為にアルバイトを始めたり
好きな人と付き合う為に時間を割く必要
も生じ、ある意味で「ToDoリスト」が
必要になるかも知れないというのが
現実である。

以前からどの偏差値のリストに載って
いる大学の学生は多かれ少なかれ
そうした部分はあったが、現在の
教育困難大学の学生はまた違う。

学生とはいえ大学の試験にパスする為に
必要とあらば親や先生が叱咤激励して
偏差値を上げる時代は過ぎている筈だ。

以前ならいい大学、行きたい大学に入る
為に偏差値によるリストを見て進路を
考えた上で努力していた例は多かった。

だが、今の教育困難大学の学生は、
このままだとどこの職場でも通用しない
という指導を教える側からしなければ
ならない程非常識いうのが現状だ。

しかしここまで教育困難大学が増えた
原因は、行政による設置認可で
大学の数が増加し過ぎた事も一因だ。

事実、Fランクの大学はどこでも
定員割れは珍しくない状況である。

だがそんな中でも偏差値の上での狭き門
としてよりも、就職率で有名大学を凌ぐ
様な、どこにもない独自性を持つ大学も
あるのだ。

そうした個性を持つ様に大学側も
変わって行けば、就職難の今の時代なら
必要な教育機関となり得る事は確かで、
もしその個性がある大学のリストがある
と判れば、学生が血眼になって
追い求め、教育困難大学の減少に
繋がる事は確かだ。

 

まとめ

 


日本国憲法第26条によれば、全ての国民
はその能力に応じて等しく教育を受ける
権利があるとの事だが、その権利を行使
するにはあまりにもひどいレベルの学生
が多すぎた為に教育困難大学が増えて
しまったと思われる。

学びたい事があれば大学に行けば良いと
いう発想も、大卒の方が就職に有利との
風潮の中では少数派の物となった。

大学への進学とは、偏差値リストで
適当に大学名を選んでどこに入学するか
という話では決して無い。

参考サイト
//toyokeizai.net/articles/-/192405
//toyokeizai.net/articles/-/195668?page=1
//artre60.com/10361.html

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