ジャニー喜多川の少年愛裁判の内容!被害者にスマップも!?

「ジャニー喜多川」と言えば、言わずと
知れた、ジャニーズ事務所の社長だ。

男性アイドルを今でも世に送り続けて
いる辣腕ぶりは、知れている処だ。

しかしその辣腕ぶりから、黒い噂も多い。

少年愛の噂は昔からだが、被害者の声も
当時から聞こえていた。

裁判沙汰にもなったが、その内容とは?

また、これらの噂と、スマップとの関連
についても、調べてみた。

 

 

 ジャニー喜多川・少年愛裁判と内容!被害者は誰?

 


1960年代に「ジャニーズ事務所」を
立ち上げ、多くの男性アイドルを世に
送り出して来た、ジャニー喜多川。

男性アイドル専門の事務所だけに、
ジャニー喜多川と少年愛の噂は、
1960年代当時から、報道があった。

そして1990年代後半、週刊誌による
キャンペーンで、少年愛者としての
振舞いが被害者から暴露される形と
なり、裁判に発展もした。

その、少年愛裁判の内容も
気になるところだ。

また、被害者たちが語る、少年愛の内容
とは?

スマップが解散し、一部のメンバーが
事務所を離れたのは記憶に新しいが、
そのスマップとの関係はどうだろう。

 ジャニー喜多川・少年愛裁判の内容とは?


1999年『週刊文春』が、
ジャニーズ事務所の特集記事として
掲載したのが、事の発端である。

ジャニー喜多川が所属タレントに、
少年愛から起こる衝動的な行為や、
未成年タレントの喫煙と言った、業界で
タブーとされる内容の記事だった。

名誉棄損を訴えたジャニー喜多川側は、
文春側に対し、1億円あまりの損害賠償
を要求する民事訴訟を起こし、裁判に
発展した。

その訴訟内容となった記事には他にも。

無理なスケジュールが原因で学校に
通学不能になったり、ジャニーズの
メンバーの中でも関西出身者は
給与などの冷遇があったり、
ファンクラブはチケット購入の時に
手数料を取るなど、ファンを軽視した
運営をしている、といった様な事が
書かれていた。

一審の裁判では、ジャニー喜多川側が
勝訴。

しかし文春側はこの内容を不服とし、
東京高裁に控訴。

二審の裁判において、ジャニー喜多川側
の少年愛行為が、認定されてしまう。

この内容を不服としたジャニー喜多川側
は、上告に踏み切る。

しかしこの上告は裁判所で棄却され、
文春側が120万円の損害賠償で収まり、
ジャニー喜多川の少年愛行為の認定が、
確定する形になった。

この裁判の内容が余り知れ渡っていない
のは、大手マスコミが、タブー視して、
報道をしなかったせいもある。

その為「その黙殺がおかしい」と、
海外メディアが報道した経緯もある。

業界のタブーか?性に対するタブーか?
のグレーゾーンの部分も感じるが、
読む人が読めば、解る域だろう。

週刊文春の以前にも、雑誌「噂の真相」
が、ジャニー喜多川の被害者等の
特集記事を組んでいた。

ジャニーズ事務省側が、あれはメディア
ではないと、黙殺した歴史もある。

関連記事:
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 被害者の声。


ジャニーズ事務所設立当時から、少年愛
の噂が聞こえて来たジャニー喜多川。

宿命的な物も感じ取れるが、中には、
書籍を出版して、自分は被害者であると
名乗り出た人達もいる。

ジャニー喜多川の少年愛行為を、書籍等
で訴えた人達を、調べた。

 平本淳也(元ジャニーズJr)

「ジャニーズのすべて―少年愛の館」
(鹿砦社、1996年4月)を上梓。

少年愛の実態を、暴露した。

 北公次(元フォーリーブス)

1988年11月に発売され、話題を
攫い、ベストセラーになった著書
「光GENJIへ」(データハウス刊)
で、少年愛についての記述を。

被害者と言う立場で、最初に告発した
一冊とも、呼ばれている。

 木山将吾(幻の光GENJIメンバー)

「光GENJI」への加入も決まり、
ポスター撮影にも参加していた、
幻のメンバーと言われている。

ジャニー喜多川に気に入られ、あと一歩
でデビューかと言われた矢先、謎の注射
の洗礼があると聞き、受け入れられず、
そのまま退所してしまう。

「SMAPへ」(鹿砦社刊)と言う
本を上梓し、内情を暴露している。

「光GENJIへ」と同じく、
当時バリバリのトップだった
スマップへ向けた、メッセージ本とも
取れる。

他、元ジャニーズの中谷良や豊川誕と
言った、初期に所属していたアイドル達
も、後に暴露本を出している。

ここまで書いて気になるのは、解散した
スマップだ。

スマップもジャニー喜多川の被害者かと
疑う声も聞こえる。

スマップとジャニー喜多川の関係は?

そして、ジャニー喜多川の経歴とは?

 

 

 ジャニー喜多川とスマップの関係!少年愛の被害者?

 


少年愛裁判に巻き込まれ、裁判所からも
少年愛を認定された過去のある、
ジャニー喜多川。

週刊誌の内容が、認められてしまった
形である。

しかも、自分も被害者だと暴露本も出版
され、その内容から、ジャニー喜多川の
少年愛ぶりが、更に露呈した。

気になるのは、解散したスマップは?
である。

スマップも、被害者なのか?

 スマップとの関係は?


ジャニー喜多川と少年愛とスマップは、
調べる限り、結びついていない様相だ。

「SMAPへ」と言う書籍が出版されて
いるが、被害者とは言えない感じだ。

寧ろデビューした当初のスマップを、
積極的に売り出そうとしていた。

デビュー当初のスマップは、歌と踊りが
水準に達していないと、レコード制作の
担当者は苦労したそうだ。

しかし、当時のテレビはバラエティ全盛
の時代。

スマップ担当だったマネージャーの判断
で、スマップは、バラエティに進出し、
成功を収める形になった。

つまり、新しい活路を求めて開拓し、
そこで花開いた一例とも言える。

実力で売れたグループが、スマップだ。

その敏腕マネージャーの退所を発端に
解散まで発展してしまったのである。

バラエティ路線に走ったスマップを、
ジャニー喜多川も擁護。

中途半端な女性タレントは使わないで
欲しいとの注文も、付けていたそうだ。

なお、アメリカ生まれのジャニー喜多川
の頭には、ブロードウェイミュージカル
があり、歌・踊り・芝居の3つが出来る
タレントを育てたいと言う想いがある。

そんな、ジャニー喜多川の経歴を、
改めてここで紹介しよう。

 ジャニー喜多川の経歴。


ジャニー喜多川の経歴を調べてみた。

1931年10月23日
ロサンゼルス生まれ。

戦前・戦中と大阪・和歌山で過ごすが、
終戦後、ロサンゼルスに帰国。

学生時代、劇場でのアルバイトの経験が
あるそうだ。

1950年.
美空ひばり川田晴久とロサンゼルス公演
を行った際、父の勤務先が会場となり、
ステージマネージメント全体を担当。

この件が日本芸能界への進出のきっかけ
となった。

1960年代初め。
当時住んでいた、東京・代々木の占領
アメリカ軍宿舎「ワシントンハイツ」
にて、少年野球のコーチを務めていた。

芸能人が多く所属していたこのチームの
名前を、自分のニックネームをつけて
「ジャニーズ」とした。

そこにいた少年メンバー4人をグループ
にして「ジャニーズ」が結成された。

これが「ジャニーズ事務所」の原点
である。

アメリカナイズされた感性で、芸能関係
のマネジメントをして来られた経緯を
感じる。

少年愛とも見られる行動がここから来て
いると見るならば、タレントと社長の間
に食い違いがあったとも、取れる。

関連記事:
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 まとめ

 


ジャニーズ事務所設立から、常に芸能界
の第一線に立つ、ジャニー喜多川。

多くの男性アイドルを人気者に仕立てた
実績は、誰もが認める処だろう。

それ故に、少年愛の噂が絶えないと、
捉えられる節もある。

独りのタレントを愛すほどじゃないと
売れて行かないとも読めるが、受け取る
側からすれば、少年愛とも取られて
しまう。

境界線の難しさを感じるが、これからも
ジャニー喜多川氏には、女性人気の出る
男性アイドルをプロデュースしてほしい
ものである。

Nabesama

<参考サイト>
ウィキペディア
サイゾーウーマン
Yahoo知恵袋
エキサイトニュース

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