今月26日から安倍首相がハワイを訪問し
真珠湾攻撃の慰霊をすることが
決まりました。
これについて、ホワイトハウスの
報道官は、
「オバマ大統領の広島訪問と同じくらい
強い印象を与えるでしょう」と
歓迎する意向を示しました。
現在も、アメリカには真珠湾攻撃への
反発が強く根付いていますが、
アーネスト報道官は
「多くのアメリカ国民は安倍首相の
気持ちをあたたかく受け止めるだろう」
と話しています。
また、国務省のトナー副報道官は、
「私が知る限り、日本側に対し
謝罪を求めることはない」と
記者会見で述べています。
ニューヨークタイムズ紙では、
「安倍首相の真珠湾訪問は、
オバマ大統領の歴史的な広島訪問に
事実上返礼することになる」と分析
しています。
この訪問が、日本とアメリカにとって
重要であることが分かります。
今回は、真珠湾攻撃の真実について
分かりやすく解説していきます。
真珠湾攻撃の真実
1941年12月8日にハワイ、真珠湾の
アメリカ太平洋戦艦を日本軍が攻撃し、
これが、太平洋戦争の開戦のきっかけと
なりました。
真珠湾攻撃について、学校では
深く教えてもらった記憶がありません。
日本の教育によって反日感情をもった
日本人が増えたことも事実だと思います
真珠湾攻撃の真実とは?
近年では
「日本人が知らない真実がある」
と言われています。
当時、日本の真珠湾攻撃は
「だまし討ち」だとされ、
アメリカ国民の戦争への意欲が
高まりました。
それは真実だったのでしょうか?
日本はなぜ真珠湾攻撃を
したのでしょう?
分かりやすくご説明します。
日独伊三国軍事同盟
真珠湾攻撃を語るならば、
まずは日独伊三国軍事同盟の話から
始めなければなりません。
日独伊三国軍事同盟は、
1940年9月27日に、日本、ドイツ、
イタリアの三カ国間で結んだ
軍事同盟です。
当時、ドイツ軍は独裁政治によって
高い軍事力を持ち、イギリスを除いた
ヨーロッパ全土のほとんどを
手中におさめ、支配していました。
この頃の日本は、中国と戦争状態に
あり、国際的に孤立し、苦戦を
強いられていました。
そんな時に、ドイツから防共協定を
持ちかけられます。
ドイツと協定を結べば、アメリカに
けん制ができる日本と、
支配したいイギリスの
領土に近い日本と協定を結んで、
イギリスの軍事力を散らせるドイツ、
この二カ国間で防共協定を
結びます。
その後、イタリア軍が防共協定に
参加し、日独伊防共協定と
なりました。
これを、具体化させた軍事同盟が
日独伊三国軍事同盟です。
しかし、
この時、イギリスとアメリカは
国家間で友好関係を築いていて、
その友人であるイギリスへ危害を
加えるつもりなのか?と
日本を警戒します。
その措置として、日本への石油輸出に
制限をかけました。
使用する石油の内、80%もをアメリカ
から輸入していた日本は、焦ります。
アメリカは、日本の中国への侵攻も
良く思っていなかったため、
中国からの撤退も要求されます。
撤退も出来ない日本は、
石油の輸出の再開を交渉しにワシントン
へ向かいます。
この訪問の影で、南ベトナムの首都、
サイゴンへ日本軍が資源の調達に
向かっていました。
このサイゴンからは、
アメリカの領土「フィリピン」、
イギリスの領土「シンガポール」と
アランだの領土「インドネシア」を
一度に見渡せ、攻撃に適した場所でした
この日本軍の動きに気づいたアメリカは
日本への石油の輸出を全面禁止にし、
アメリカ本土に住む日本人の資産凍結を
行いました。
真珠湾攻撃をしたワケ
ここまでで、各国との関係性や、
軍事同盟、アメリカの言い分など、
真珠湾攻撃の前の事柄が分かって
きました。
日本が真珠湾攻撃を仕掛けるまでに
戦争という形ではありませんが、
トップに立ちたいアメリカと、
日本の間で様々な攻防があったのですね
真珠湾攻撃の真実、
日本の置かれた立場、アメリカの思惑、
シナリオ通りに事が運んだとされて
います。
日本人の知らない真実とは?
石油輸出禁止後の成り行きを
分かりやすくまとめます。
ハルノート
石油の輸出を禁止したアメリカと、
中国撤退を拒否する日本。
両国の交渉は、停滞し、進展が
見られませんでした。
この時、アメリカの国務長官が
妥協案として日本へ条件を提示しました
これが「ハルノート」です。
国務長官コーデル・ハルの名前から
ハルノートと呼ばれるようになりました
そこに書かれた条件は、
日本軍所有領地の無条件返還や、
中国からの撤退、
軍事同盟の無条件解散などでした。
日本軍が飲めないと分かりきっている
条件でした。
アメリカはそれを分かっていながら
無理な条件を提示しました。
日本の答えは、交渉打ち切りでした。
アメリカとの戦争を余儀なくされます。
軍事力や、資源力の差は明白で、
日本に勝ち目はありません。
ここで、日本が考え出した戦略が
短期決戦です。
短期決戦で、アメリカの戦意を奪って
交渉に入ろうとしたのです。
真珠湾攻撃
短期決戦を実現させるため、
空襲を防ぐためには、
アメリカ軍の要である空母を破壊
することが有力な手段だと考え、
真珠湾に待機していた空母へ攻撃を
仕掛けたのです。
日本の真珠湾への攻撃は、予想されて
いなかったとされています。
この攻撃が「だまし討ち」だと
されていますが、
開戦を自国民に知らせるのは、
「最初の攻撃を開始した後」というのが
当時の常識でした。
アメリカが、開戦の宣告まえに攻撃を
受けたと示した影には、
その前の交渉時の「交渉打ち切り通告」
を日本がアメリカに届け出たことが
あるようです。
日本の交渉打ち切り通告を、アメリカが
利用した、というのが真実だと
されています。
戦争によって若い命を失っていく
悲しみと不安を抱えたアメリカ国民の
戦争への意欲向上の火種として
使われたのです。
つまり、日本は、アメリカのシナリオ
通りに動いてしまった、
動かざるを得なかったということです。
日本が仕掛けた戦争ではなく、
仕掛けるように仕向けられた戦争で
あった。
これが真珠湾攻撃の真実です。
sakura