歌舞伎界では知る人ぞ知る河合雪之丞さん。
以前は市川春猿(いちかわしゅんえん)の名で出演されていました。
正統派女形として人気を博しています。
そんな河合雪之丞さんですが、歌舞伎をやめたのでは?というウワサがあるのです。
なぜそのようなウワサが流れる事となったのか、そして真相はどうなのでしょうか。
また、河合雪之丞さんの弟子と師匠、更には新派についても、合わせてまとめてみました。
河合雪之丞(市川春猿)歌舞伎はやめた?
河合雪之丞さんは、2017年1月に市川春猿から改名をしています。
約30年もの間名乗ってきた市川春猿を改めた事もあり、歌舞伎をやめたのでは?といったウワサが流れました。
ここではそのウワサについてと、新派に転身した時の事についてまとめてみました。
河合雪之丞(市川春猿)歌舞伎はやめたのか?
河合雪之丞さんがちょうど改名した時に、色々な噂が流れましたが、その一つが歌舞伎を辞めたのではないかという疑惑でした。
しかしその実態は、歌舞伎をやめたわけではなく、改名したタイミングで新派に入団し、タレント業に近い活動も含め、マルチに活動するようになったという事のようです。
これは、河合雪之丞さんがご自身で選択した道という事で、歌舞伎一筋ではない所で活躍をしていきたいという意志の表れでした。
新派に入団した事により、持ち前のトーク力やキャラクターからテレビ出演が数多く続く事となりました。
河合雪之丞さんには、多くの老若男女のファンがおり、現在では歌舞伎や女性らしさなどテーマにしたトークショーなども積極的に行っているといいます。
今まで歌舞伎一筋に近い状態で来たにも拘らず、他の演技だけでなく、トークショーまでこなせるなんてスゴイですよね!
河合雪之丞の新派への転身について
河合雪之丞さんが都内で新派への入団会見を行ったのは、2016年10月27日のことでした。
その頃はまだ、河合雪之丞を襲名する前で、市川春猿の名で活動していた時でした。
師匠である市川猿翁さんに、歌舞伎から新派への転身を相談したところ、
「大賛成!お前は新派が合っているよ。」
と賛同してくれたといいます。
河合雪之丞さんは、そのシーンを思い出したのか、入団会見中に目を真っ赤にさせ、声を詰まらせました。
会見に同席していた女優水谷八重子さんは、
「女優ではちょっとやりにくいような役を、春猿さんで観たい、そういう芝居をつくりたいという欲が出てきています。
いろいろな夢を見せていただけるのではないでしょうか。
また、女方の立役は色気があって不思議な、セクシーな魅力があります。
立役もいっぱいやっていただきたい。」
と、新派の女方、河合雪之丞誕生に大きな期待を寄せていました。
このように、河合雪之丞さんの新派への転身は、周りの様々な人からの期待があったようですね。
河合雪之丞の弟子と師匠や新派の事などマトメてみた!
河合雪之丞さんには弟子が3人おり、現在新派で活躍されています。
また、師匠の市川猿翁さんは香川照之さんの父親としても広く知られています。
ここでは、そんな河合雪之丞さんの弟子と師匠について調べてみましたのでご紹介します。
また、河合雪之丞さんが移籍をした新派とはどのような所なのでしょうか。
詳しく見ていく事にしましょう。
河合雪之丞の弟子と師匠は?
河合雪之丞さんが新派に転身した際、同時に3人の弟子も新派に移籍しています。
猿翁一門下の弟弟子でもある市川笑三さんが河合誠三郎、市川猿若さんが河合穂積、市川猿珠さんが河合宥季と、それぞれ改名もしています。
河合誠三郎さんは、当初は俳優として活動をしていましたが、三代目市川猿之助さん(現市川猿翁)に声を掛けられ弟子入りしたのが歌舞伎界へ入るきっかけだったといいます。
河合雪之丞さんにとっては弟弟子とも言えるんですね。
河合穂積さんは、移籍以前から新派の作品に出演する事もあったようで、馴染みがあったようです。
河合宥季さんは、1995年生まれ。
『日本橋』では女方の出世作といわれるお千世を演じ、新派最年少の女形として活躍中だそうです。
師匠と同じ女形の道を進まれているんですね!
一方、河合雪之丞さんの師匠は市川猿翁さんです。
「猿翁」は隠居名で、49年間に渡り使い続けた三代目 市川 猿之助としても広く世に知られています。
もしかしたら、それよりも香川照之さんの父親である事の方が有名かもしれません。
新派入団の際、師匠である市川猿翁さんに相談した河合雪之丞さんですが、入団を勧めてもらい、さらには襲名をする事になった雪之丞の名前についても合わせて助言してもらったといいます。
市川猿翁さんは、「かつて私が名乗ろうと一度は心に決めた大切な名前」である“雪之丞”の名を、これからも自分の弟子として、常に全力で取り組んでほしいという思いを込めて、贈ったといいます。
河合雪之丞は、新派の道を歩みたいと伝えた時、
「大賛成としっかり言ってくださった。
すごくうれしかった」
と笑顔を見せ、雪にちなんだ“白”と市川猿翁さんがうさぎ年ということで、「白兎屋(しらとや)」の屋号もいただいたと話しました。
ちなみに「河合」の名は、新派黄金時代の名優、河合武雄さんから受け継いだという事です。
歌舞伎界での名前は、大変重要な位置付けなんですね。
河合雪之丞の所属する新派とは?
新派は、1888年に日本の演劇の一派として始まりました。
明治時代に始まった「壮士芝居」「書生芝居」などをもとに歌舞伎とは異なる新たな現代劇として発達し、「旧派」の歌舞伎に対し「新派」と称されたのが由来だといいます。
また、演目は庶民の哀歓・情緒を情感豊かに描いたものが多くなっているそうです。
「この方は歌舞伎より新派のほうが合うんじゃないか。
でも、新派に入られたらライバルになってしまうと思うほど、素敵な一代女でした。」
女優波乃久里子さんは、2002年8月に自主公演「市川春猿の会」で河合雪之丞さんが演じた『明治一代女』のお梅を見た時、こう振り返っていました。
新派の柱になってほしいと思い、河合雪之丞さんの入団を歓迎したそうです。
このときの『明治一代女』を、河合雪之丞さんが、どうしてもやりたいと師匠に相談したところ、
「ぜひやりなさい、あなたは新派に向いている」
と言ってもらえたそうです。
稽古場では細かく演技指導もしていただき、その時に、新派作品をこれからもやり続けられたら、自分の役者人生幸せだなと強く感じたといいます。
河合雪之丞さんにとっての一つの転機でもあったようです。
2010年10月『滝の白糸』以降は、新派作品への出演も増え、
「新派の魅力にのめり込んでしまった自分がいました。」
と明かしていました。
入団前から新派は、既に思い入れのあるものだった事が感じられますよね。
また、河合雪之丞さんは、
「歌舞伎をやって来た中で感じた事を突き詰めて勉強できるのは新派」
だとしています。
「新派には歌舞伎で勉強してきたことを活かせる作品がいっぱいある。
新派の女方芸を勉強し、後世の方たちに伝えなければいけない。
新しい作品もやり、古典のいい作品が一人でも多くの方の目に触れるようにすることを目標に頑張りたい。」
と、まだまだ自分自身の芸が発展途上である事を強調しているようにも感じました。
まとめ
河合雪之丞さんについてみてきましたが、歌舞伎をやめたのでは?といったウワサは事実ではありませんでした。
恐らく、市川春猿から河合雪之丞に改名をした、ちょうどそのタイミングで新派に移籍した事で、そのような憶測が広がったのでしょう。
新派に入団した事により、歌舞伎だけでなくマルチな活動が増えてきた事も、ウワサになった要因の一つかも知れません。
弟子3人は、河合雪之丞さんと同じく新派に移籍しています。
また、師匠である市川猿翁さんは、新派への入団を大賛成してくれたといいます。
師匠に背中を押してもらえて、さぞかし安心した事でしょうね。
河合雪之丞さんにとって、入団前より思い入れのあった新派。
そこで新たなジャンルに挑戦する河合雪之丞さんを、楽しみにしていきましょう。
参考サイト
劇団新派公式サイト
歌舞伎公式総合サイト 歌舞伎美人